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★21世紀は前世紀までの物質中心、科学技術中心の考え方が見直される世紀といわれています。 |
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第一書簡2 これすなはち また正念といふにつきてふたつあり。ひとつには |
◎『現代意訳』(現代意訳には増谷文雄著「親鸞集」、加藤辨三郎著「末燈鈔」、阿満利麿著「親鸞からの手紙」、石田瑞麿著「親鸞とその妻の手紙」などを参考にさせていただき、最終的には自分の意見で作成しています。)
正念というのは、真実の親である弥陀の、私たち凡夫をを完全に救済しようという誓いを信じる心が定まることです。この信心を得るがゆえに必ず仏になり、さとりを得るのです。この信心を一心といいいます。また、この一心を金剛のように壊れない心、すなわち金剛心というのです。そしてまた、この金剛不壊の心は仏のこころ即ち大菩提心にも等しいこころというのです。これこそが仏によってさとりに導かれる力、すなわち他力の中の他力ということです。
この正念ということについては、なお、もう二つあります。定心の行をおこなう人がいう正念と、散心の行をおこなう人がいうところの正念です。この二つの正念は他力の中の自力の正念であります。
この定心の行、すなわち瞑想によって浄土や阿弥陀仏をイメージする行を行い、その功徳によって浄土に生まれることを期待したり、散心、すなわち仏教が教える諸善や道徳を実践して、その功徳によって浄土に生まれることを期待することは諸行往生ということばにおさまる事柄です。このような正念は他力の中の自力の正念ということになります。これら自力の行をおこなう人たちは、臨終に際して、弥陀の来迎がなければ、浄土のほとりである辺地・胎生や懈慢界にすら生まれることができないのです。だから弥陀は四十八願の中の第十九の誓いの中で、上記のような諸行往生の人に対して、その臨終には自ら姿を現わして迎えに来ようと誓っておられるのです。臨終を待って、弥陀の来迎を得て浄土に生まれようとすることは、このような定心・散心の諸行往生の人々がいうことなのです。
【HP作成者感想】
今月は先月の第一書簡1の続きの部分、正念についての、親鸞聖人のおこころを伺ってみたいと思います。そして、正念について、まず、「
ところが、ここで、私をまごつかせるのは、その次に、一転して、「また
そこで、この“正念”という 仏教用語を調べてみましたところ、仏教における八正道の内の一つであって、これには“正見”、“正思惟”、“正語”、“正業”・・など さとりに達するための八つの道の内の一つであることがわかりました。したがって正念のもともとの意味もさとりに達するための行、すなわち、平たくいえば、“仏をもとめるこころ”といえばいいのでしょうか。だから、正念の解釈は、複数あっていいのです。しかし、親鸞聖人は、関東の同行の“正念とは”という問いに対して、唯一、“弥陀の本願の信受”ということを挙げられたのです。したがって、最初のことば“正念といふは” には、“私が真実と考えている正念というのは”という思いが込められているものと思うのです。したがって、親鸞聖人にとって正念というのは、弥陀の本願を信じること唯一つだということです。すなわち、他力のなかの他力一筋であるということです。したがって、それ以外の正念を行ずる人たちは、ひっくるめて諸行往生の人びとであり、このような人びとは、仏が第十九願で誓っておられる、臨終来迎なくしては、辺地や懈慢界など浄土の片隅にさえ、往生できないことになるということでしょう。 それに対して、弥陀の本願を信受することを、正念とする人は、臨終を待つことなく、平生において信心が定まる時、浄土往生も定まるのですから、臨終来迎を期待することは全く無要であるという先月の末燈鈔1における結論と、一致するということでもあります。
| 第一書簡 3
南無阿弥陀仏 愚禿親鸞 七十九歳
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◎『現代意訳』(現代意訳には増谷文雄著「親鸞集」、加藤辨三郎著「末燈鈔」、阿満利麿著「親鸞からの手紙」、石田瑞麿著「親鸞とその妻の手紙」などを参考にさせていただき、最終的には自分の意見で作成しています。)
次に、弥陀が選びぬかれた本願の念仏は有念のことがらでもなく、無念のことがらでもありません。有念とは、すなわち色や形をこころにえがくことであり、無念というのは形や色といった具象的なことがらをもこころにかけず、無心というか、
浄土宗にもまた、有念・無念の二つがあります。この場合の有念は、さまざまな修行や善行を積んで仏に供養を捧げるという散善の考え方や行為であり、無念という場合は、あれこれの雑念を払い、ひたすら仏や浄土のありさまを念じるという定善の考え方や行為です。だから、浄土の無念は聖道の無念とは異なっています。また、聖道の無念の中にも有念があります。これらは、その道の人によくよくお尋ねください。
浄土宗の教えにも、真実のものと、仮のものとがあります。真実のものというのは第十八願を第一とする選択本願であり、仮のものというのは上の散善や定善がこれにあたります。そして、この選択本願こそ浄土真実の教えであり、定善と散善の二つの善は仮の教えです。選択本願は、この末法の時代にあって、大乗のなかの最高至極の教えなのです。
方便の仮の教えのなかにも生きとし生けるものをすくおうとする大乗の教えと、ひとえに自らのさとりを大切にする小乗の教えがあり、仮の教えと真実の教えがあります。
釈迦如来が教えを受けられた師は百十人です。『華厳経』にみえています。
【HP作成者感想】
正念に次いで、出てきた関東の門弟の質問は、有念と無念という意味の解釈だったのでしょう。この文章の内容を親鸞聖人の御己証、すなわち法語集とする見方もありますが、やはり元は門弟の質疑に、聖人が心をこめてお答になったものであることに変わりはないのです。そして、まず、聖人は門弟の有念とは・無念とはといった質問に対して、まず初めに“選択本願は有念に非ず、無念にあらず”と、ピシとおさえておられます。しかし、関東の門弟たちの思いつめた、これら質問を前にして、あらためて有念、無念の意義を、くわしく説明されはじめたのではないでしょうか。そして、これを説きだせば、聖道門の有念・無念、浄土門の有念・無念と、徹底して説いていかれる親鸞聖人の心は、ひとえに関東の門弟、すなわち親鸞聖人は、ご自身の御心の中で、これらの人々を御同行、御同朋とお考えになっている、このような人々に対して、次から次へと泉が湧きだすように説いていかれます。すなわち聖道の有念・無念とはどのようなものか、そして、そもそも聖道門とはどのような宗門があるのか、そして小乗のおしえ、権教とはどのような教えかと、とどまることを知らずに説いていかれます。このように、お説きになっている親鸞聖人のことばのなかに、はっと、こちらの安易な気持ちの虚を突くように言われた言葉、すなわち、このような聖道の教えも、やはり、大乗至極の教えであるといっておられることです。親鸞聖人はこれら聖道の教えも決して大乗仏教の流れから外れているのではなく、しかも至極の教えであるととらえておられることです。大乗至極の教えなのだけれども、現実に生きる、大多数の煩悩そのもののような人間には、この末法の時代にはとても、やり遂げることはできないのだと、親鸞聖人は教えておられるのでしょう。だから親鸞聖人はこのお手紙の中で“
| 第二書簡 1 かさまの それ浄土真宗のこゝろは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺の論家・浄土の祖師のおほせられたることなり。 まづ自力と申すことは、行者のおのおの縁にしたがひて、余の仏号を称念し余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからひのこゝろをもて、身口意のみだれごゝろをつくろい、めでたうしなして浄土へ往生せむとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかひの中に、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。 |
② 根機=往生を願うこころの状態
③ 天竺=印度
④ 論家=印度の龍樹・天親
⑤ 浄土の祖師=右の論家及び中国の曇鸞・道綽・善導
及び、日本の源信・法然、即ち七高僧
⑥ 余の仏号=阿弥陀仏以外の仏の号(なまえ)
⑦ 余の善根=念仏以外の善い報いをうける功徳のもと
⑧ 身口意=身体と言葉と心
⑨ 選択摂取=阿弥陀仏の誓願の中で特に選び取られた
⑩ 信楽= 信じ願う、信じよろこぶ
今月は笠間の念仏者のからの切実な疑問に対して、親鸞聖人が、自身が法然上人から受け継いだ浄土真宗の本義を、言葉を尽して、しかもズバリとお答になっている部分です。増谷文雄師によれば、「この手紙の最後には日付として建長七歳(1255年)十月三日 愚禿親鸞八十三歳
さて、この文は、まさに自力と他力ということについて、上記のような状況の中で関東の門弟たちの切実な疑問にこたえたものです。
まず、往生すなわち浄土に生まれることを願う衆生には他力往生を願う人もあり、自力で往生しようとする人もある。このことは印度や中国、あるいは日本の古くからの浄土教の高僧たちが仰せになっている、親鸞がひとり言い出したことではないと、きちんと押さえておられます。
そして、まず自力ということは念仏の行者がそれぞれの縁にしたがって、他の仏の御名をとなえたり、さまざまな善行を修めて自らの力で自身をこの上なく立派にして、浄土に生まれる資格を得ようとつとめることであると述べられています。これは比較的分かりやすいです。本来、阿弥陀仏一仏の名を称え、ひとえに阿弥陀仏に依り頼むとするのが、中国の僧、善導を奉ずる法然の教えであり、阿弥陀如来の力を補強しようと、薬師如来だ、大日如来だといろいろな仏の名をとなえることは、弥陀一仏を信じていないことであり、ひとえに弥陀の本願を信じるという、伝統的浄土教の教えから外れることであります。また、さまざまな善行を修め、仏を供養し、自らを浄土にうまれる完璧で非の打ちどころのない人間にして、いわばその見返りに浄土往生を遂げようとすること。
このようなことは、人間が現実社会でgive and take でよく行う行為だから、往生の成否は別として、人間の心のはたらきとして、分かりやすいことです。しかし、このことは後の文章を読んでもわかりますが、親鸞聖人は、自力の信心として、浄土往生は適わぬ事柄であるとして退けられます。なぜなら、これらの行為は、弥陀一仏を信じるということが欠けているからです。
それでは、他力はいかがでしょうか。親鸞聖人はここでいわれます。『 他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。』 これっていかがでしょうか。親鸞聖人は簡単に、このように言われますが、これが最も難解な事柄ではないでしょうか。それでは第十八の念仏往生の本願とはどのような本願でしょうか。『設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯徐五逆、誹謗正法』 これの現代語訳を昭和56年9月、浄土真宗本願寺派出版部発行の聖典意訳浄土三部経により記述しますと『もし、わたしが仏になるとき、あらゆる人びとが、まごころから信じよろこび、往生安堵の想いより、ただ念仏して、そしてわたしの国に生れることができぬようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、正法を謗ったりする者だけは除かれます。』 この文言を、言葉どおりに、そのまま信ずることが、正直、できますか? 私には出来ませんでした。なるほど、この言葉は“私たち衆生を根本から救おうとする真実の親の願いである”ということから、今は、私は信ずることができます。しかし、今でも、上の文言のみから、それを信じよといわれても、信じられません。では、私の場合、どうして第十八願は“真実の親の願いである”ということが信じられたのでしょうか。それを申し上げるには、私自身をあらいざらい、ここにさらけだして、その経緯を申し上げる以外にありません。それでは、それはどういうことなのでしょうか。まず、私は中学生のころ、“人生にめざめる”といえば格好いんでしょうが、要するに、性に目覚めるころ、同時に、自分の死にも目覚めたように思います。その頃には学校で習う“無限”とか“無”とか“永遠”とかいうことばがやや実感を以って感ずるようになっていたからでしょうか。自分は今は生きているが、いずれ死ぬ時が来るんだ、それも絶対来るんだ。しかも死んだ後はどうか、永遠の無がそこにはあるのみだ、しかも、その運命からはどうしても逃れられない、だれも助けてはくれない、科学が如何に発達しても、不可能なことだ。と思ったとき、これは、まさに絶望でした。小さな長屋の家の二階と一階を降りたり上がったりしてこの恐怖をなんとか和らげようと思ったことでした。ずっとこのような状態が持続するのではたまったものではないが、一階と二階を何回か往復することによって、この恐怖もおさまっていき、なんとか過ごしていたが、この絶望と恐怖はずっと、今でも、こころの底に沈潜し続けています。一方、高校、大学と過ごして、就職してからは、まず、就職した小学校では生徒も幼く、悩みがなかったわけではないが、ほぼ平穏に過ごせました。しかし、中学校で教鞭をとるようなことになって、当時から中学校は暴力的にも荒れていて、苦労は絶えず、あるとき、仮病をつかって、教師の身でありながら学校を休んだりした時、その翌日に出勤する時、途中で、上司にどのように自分の仮病欠席を説明するべきか、小さなことではあるけれども、自分には死ぬほどつらい想いでもありました。しかし、また休むわけにはいかない、途中の駅のホームでこのような想いに呻吟(しんぎん)しているうちに、ふと、“神のみこころのままに”ということが浮かんで、救われたことを思い出します。その当時は、キリスト教の内村鑑三に傾倒していたので、このような言葉が出てきたのでしょう。その後も、今も、内村鑑三は大切な人であるけれども、どうもキリスト教の聖書に出てくる奇蹟とか、生身のままの復活とかいったことに、どうしてもなじめませんでした。そのようなときに出遇ったのが清沢満之です。清沢満之はその絶筆『われはかくの如く如来を信ず』、別名『我が信念』ともいう文章で自己が如来を信ずるに至った経緯を克明に語っています。一々の説明はかえって冗長になりわかりにくくなりますので次行の青字のリンク部分をクリックして御覧頂きながら、吟味してください。この『われはかく如来を信ず』および『絶対他力の大道』などで清沢満之が言わんとしていることを一口で申しあげますと、“一切は如来のはたらき”であるということだと、私は思っています。そのことを念頭において、この文を読んで行きますと、まずわかることは、彼はこの絶筆となる文章を、当時の口語調でできるだけ、わかりやすく、読みやすくしているということです。
彼はいいます。『私が如来を信ずるとはどんなことか、なぜそんなことをするのであるか』ということを三つの項目に分けて説いていきます。そして、まず『その効能を第一に申せば、この信ずるということには私の煩悶苦悩が払い去らるる効能がある。』と、もっとも私たちにとって、取っ付きやすい“効能”という事柄から述べていきます。しかし、信ずる理由はそれだけではもちろんない、次に第二に『私が如来を信ずるのは私の智慧の究極であるのである』と続けます。その理由はどこにあるか、彼はいいます。『人生のことにまじめでなかりし間は措いて言わず、少しくまじめになりきたりてからは、どうも人生の意義は不可解であるということに到達して、ここに如来を信ずるということを惹起したのであります。』 この部分を、私は次のように考えます。人生の意義は、究極まで考えていくと結局わからない、なぜ生きているのかという問題につきあたります。そして、このことは、自分を生かしめ、やがて死なしめる、一切のはたらきの根源である如来に寄託するしかない。すなわち生きる意味の究極は一切のはたらきの根源である如来にある。ここに、いわれている如来が清沢の言う、“私の智慧の究極”ということではないでしょうか。なぜなら一切のはたらきの根源ならば、それは、即、智慧そのものだと私は思うからです。
第三に清沢は『私の自力は何等の能力もないもの、自ら独立する能力のないもの、この無能の私をして私たらしむる能力の根本本体が即ち如来である』といいます。“私をして私たらしむる根本本体”とはどのように受け取ればいいでしょうか。私はこれこそ“如来が一切のはたらきの根源”であるからだと考えます。そして、一切のはたらきの根源とは“無限の能力”そのものではないでしょうか。そして清沢は最後に、この段落を結びます。『私の信念は大略此の如きものである。第一の点より云えば、如来は私に対する無限の慈悲である。第二の点よりいえば、如来は私に対する無限の智慧である。第三の点よりいえば如来は私に対する無限の能力である。斯(か)くして、私の信念は無限の慈悲と、無限の智慧と、無限の能力との実在を信ずるのである。無限の慈悲なるがゆえに信念確定のその時より、如来は、私をして直ちに平穏と安楽を得しめたまふ。私の信ずる如来は来世を待たず現世に於いて大なる幸福を私に与えたまう。』このように述べています。すなわち、如来は“一切のはたらき”の根源なのですから、私の生きるのも死ぬのも、一切は如来のはたらきそのものなのですから、これこそ真正の他力そのものではないでしょうか。
そして、“一切のはたらきの根源”であるわけですから、この如来こそ真実の私の親であり、私の根源です。したがって、第十八の本願は、この何もわからない私を根底から救い摂取しようとする真実の親の願いであるということになります。この真実の親の願いを、私は信ぜずしてはおれません。このような回り道をして、はじめて、私は第十八願の文言を信ずることができました。もう一度申し上げます。私が第十八願を信ずることができるのは、一切のはたらきの根源である真実の親の願いであるからです。
このように、私に受け取らせていただくことができた、清沢満之の思想の真髄は、さらに上記リンクの文の後半以降にある『絶対他力の大道』、および『他力の救済』の詩をお読みいただければ、さらにお分かりいただけるのではないかと思うところです。
| 第二書簡 2 如来の御ちかひなれば、他力には |
【語釈】原文の語註(主にNHK出版協会発行 加藤辨三郎著「末燈鈔」参照部分もあります。)
⑫往生必定=往生が必ずさだまる。
⑬煩悩具足=あらゆる悩みや煩らい。
⑭往生=浄土にうまれる。
⑮報土=阿弥陀仏が、その本願の成就によって建てられた浄土。
⑯懈慢(または懈慢界)=快楽の多い国土。この国土は心地よく、人に たかぶり、自ずから怠ける心が生じ、執着が強いため信心が薄く真実の浄土に進むことができない。
⑰辺地=浄土のかたほとり。まださとりの徹底しない境地。
⑱胎生=浄土に生まれても蓮華の花の中に包まれて、あたかも母胎に住するようであるため真の浄土の荘厳を見ない。
⑲疑城=本願を疑う者の生まれる世界。阿弥陀仏の浄土の内、疑惑の行者が留まるところ(真の浄土ではない)
⑳天親菩薩=「浄土論」の著者。七高僧の一人。曇鸞の「浄土論註」は、「浄土論」の注釈書。
㉑盡十方無礙光如来=阿弥陀如来
㉒恵心院の和尚=恵心僧都源信(平安時代の僧、有名な「往生要集」を著す。
㉓行住坐臥=いついかなる時でも。
◎『現代意訳』(現代意訳には増谷文雄著「親鸞集」、加藤辨三郎著「末燈鈔」、阿満利麿著「親鸞からの手紙」、石田瑞麿著「親鸞とその妻の手紙」などを参考にさせていただいて、最終的には自分の意見を入れています。)
この本願は如来がたてられた御誓いであるから、すべて、如来、すなわち大いなる“いのち”のはたらきであって、このことは「衆生のはからいがないことを意味する」ということだと、師の法然上人がよく言われていたことです。すなわち義ということは、はからうことばであって、行者が浄土往生を願ってあれこれとはからうことは自力ということであり、これを“義”というのです。他力の信心は本願を信じよろこんで、すべてを如来のはたらきとしてお任せすることだから、衆生が浄土往生を願って、あれこれ“はからう”ということがない、すなわち“義”なしということが本質(すなわち義)なのです。そういうことだから、自分のような悪い人間を如来がお救いになるはずがないなどと思ってはなりません。我々人間というものは煩悩で満ち満ちているのだから、もともと悪人だと思うべきで、そのような煩悩に満ちた悪人をこそ救おうというのが如来の御誓いなのです。また、自分は、今まで、ひたすら世の中に尽くすことに務め、他に迷惑をかけたことなどまったくないので、浄土往生まちがいないだろうなどと思うのも間違っています。自分のはからいでは真実の浄土へ往生するということは、到底あり得ないのです。浄土往生を願う人の自力のはからいのみにては、懈慢・辺地・疑城・胎宮までの往生であって、生きている間、いつまでたっても真実の浄土往生の確信はもてず、いのち終わっても真実の浄土往生はかなわないのだと師の法然上人から受けたまわっています。
第十八の念仏往生の本願が成就して阿弥陀如来となられ、我々凡夫の思念を超えて、あらゆる存在の根本本体となられたその御姿を、天親菩薩は“盡十方無礙光如来”と表現されました。“盡十方無礙光”ですから、良い人間、悪い人間を問わず、煩悩のこころがどうだこうだといった分け隔てをせず、浄土往生は必ず成就するのだと信知することです。だから、恵心院の源信和尚は、その著『往生要集』で、本願の念仏を信楽するありさまは、行住坐臥、どのような時、どのようなところでも、また、どのようなことがあっても、信のこころは変わらないのだと申されました。自分は煩悩に禍いされていても、如来の方から常にそのような人を照らし見守っておられるからです。
【HP作成者感想】
先月につづく、今月の文章は、先月の如来の本願についての、私の迷倒苦悶にくらべますと、比較的、なじみ易い文章です。しかし、なじみ易いと思って読んでいると、その内に、今読んだ部分はどのような意味なのかということを少しもわからないまま、読んだような気になっているところが多々あります。そのような部分を、ピックアップしながら、味わっていきたいと思います。
まず、“他力には、義なきを義とす”という部分です。先月の最後に親鸞聖人は“他力と申すことは、第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。”といわれています。そして、それに続けて今月は、“第十八の念仏往生の本願は如来の御誓いであるから、他力というのは“義なきを義とす”ということだと、師の法然上人も常に言われていた”というのです。これはどういうふうに受取ればよいのでしょうか。 つづめていえば、先ず「他力というのは第十八願を信じよろこぶことだ」とし、「第十八願は如来の御誓いであるから」とした上で「他力には義なきを義とす(はからいのないことを本質とする)のだと師の法然上人は云われていた」といわれています。これが、どうも私(HP作成者)には論理として段階を踏んでつながってこないのです。そこで、親鸞聖人がいわれる“他力と申すことは、第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。”の部分で“他力”という部分を“他力の信心”とすると、少し、私にもわかりやすくなってきます。すなわち、“他力の信心と申すことは、第十八の念仏往生の本願を信楽するを申すなり。”とすれば、少しわかりやすくなるということです。その上で、前回に、本願ということを、清澤満之の力を借りてたどりついた“如来の本願とは、一切のはたらきの根源である如来が私たち衆生を根底から救済しようと誓った、真実の親の願い”と受取ることから論理を積み上げていくことが私には必要でした。すなわち、『他力の信心とは一切のはたらきである真実の親の誓いであり願いを信じることであって、このことは“信じよろこぶ”ことにさえ、我々衆生のはからいは一切及ばないこと、すべて如来のはたらきなのであって、そのような信心のはたらきを他力の信心というのであり、師の法然上人は、このことを“義なきを義とす”すなわち“はからいのないのをはからい(本質)とする”と言われていた。』 以上のように、まわりくどいようですが、述べられていると 私(HP作成者)は受取らざるを得ませんでした。
次に、そのような一切のはたらきの根源である如来なのですから、衆生にとって、自分は悪い人間なのだから救われるはずがないとか、自分は何一つ悪いことをしたこともなく、つつがなく浄土往生ができるように務めてきた人間だといったことは一切関係なく分け隔てなく、救いの手をさしのべてくださる、といったことも、素直にうけとれます。
そして、その次の、「行者の自力の信にては“懈慢・辺地、胎生・疑城”の浄土 にしか往生できないと受けたまわった」とはどういうことなのでしょうか。わたくしは、これは、浄土往生をねがって一生懸命、自力の行につとめても、肝心の如来大悲の一切のはたらきということを信じ切れず、疑いをもっていれば、生きていても、いつまでたっても、真実の仏に会うことができず、したがって命終の後の真実の浄土往生もおぼつかないぞといわれているように受取れます。
そして更に、「天親菩薩は不可思議の利益極まりのない阿弥陀如来の御かたちを“盡十方無礙光如来”とあらわしたまへり」という部分を読みますと。天親菩薩のいわれる“盡十方無礙光如来”と清澤満之が如来大悲のことを哲学的に“絶対無限”と表現したことが、重ね合わされ、思い合わせられることであります。
そして、最後に「
今月はこれで終わります。
| 第二書簡 3 真実の信心をえたる人は、 しかるに、 この人を |
◎『現代意訳』(現代意訳には増谷文雄著「親鸞集」、加藤辨三郎著「末燈鈔」、阿満利麿著「親鸞からの手紙」、石田瑞麿著「親鸞とその妻の手紙」などを参考にさせていただいて、最終的には自分の意見で作成しています。)
真実の信心を得たる人は、仏の摂取の光に収め取られた人だと、平安時代の僧、源信は確信をもって云われています。したがって、この身は今は無明煩悩にまみれた凡夫であるが、この身、このままで、仏の御はたらきによって、安養の浄土に往生すれば必ず無上の仏になると釈迦如来はお説きになっています。しかるに、この濁った末法の世にあっては、このことが信じ難くなっているだろうと、十方の数知れない諸仏が、煩悩にまみれた私たちのために、お釈迦様のことばをわかりやすく説き証(あ)かしておられると、善導大師が云われています。このように、釈尊、弥陀、十方の諸仏が、みな同じこころをもって、本願を信じ念仏する衆生を影のかたちにそうように、はなれず見守ってくださっていると説かれています。だからこの信心の人を、お釈迦さまは、わたしの親しき友であると慶び、このような信心の人を真(まこと)の仏弟子であると説かれています。
この人は真の仏道を求める人です。この人は弥陀が摂取して捨てたまわないので、金剛のように固い信心の人というのです。このひとは上上人(最上の人)とも好人(すぐれて見事な人)とも、妙好人(白蓮華のようにすぐれた人)、最勝人(最もすぐれた教えを信受した人)とも、稀有人(世に稀なる人)といわれるのです。それ故に、これらの人を弥勒仏と等しい人といわれています。すなわち真実信心を得ている故に、このような人は、いのち終わっても、必ず真実の浄土に往生すると知るべきなのです。
【HP作成者感想】
今月も、一つ一つの文章を、よく吟味しながら味わっていこうと思います。
先月に引き続いて「真実の信心を得たひとは、弥陀の摂取の光に収めとられている」ことを源信和尚は確かに言い表していると述べ、さらに「このような人は無明煩悩を具足したままでも、いのち終わって安養の浄土に往生すれば、かならず無上の仏になる」と釈迦如来も説いておられると親鸞聖人は重ねて強調されています。
しかし、釈迦如来がお隠れになって長い年月を経て末法の世となった今、釈尊御一代の教えは信受しがたいだろうと、十方恒沙の諸仏が証人となっていると善導大師がいわれているとあります。この意味はどのように受取ればいいのでしょうか。十方諸仏を釈尊以後に生まれた仏さまたちと受取りますと、このような仏さまたちが、末法で分かりにくくなっている釈尊の教えを、五濁の世(末法で穢れた世)の衆生にわかりやすく説き証(あ)かしておられると善導大師はのべておられるということになります。これらの仏さまたちとは、例えば龍樹大士であり、天親菩薩、曇鸞大師ということになるのではないでしょうか。そして現代においては七高僧はもとより親鸞聖人であり、道元禅師であり、私にとりましては、近代の仏教者、清澤満之であります。そのほかにも、思い浮かぶところでは浄土宗の山崎弁栄師であり禅の鈴木大拙、さらに数えきれないすぐれた仏教者が仏となって私たちを現に導いておられるということになります。
このように、釈迦・弥陀・十方の諸仏が皆同じ心で信心の人に、影の形に添うように離れず、大いなるいのちに包み込んでおられると証しておられ、したがってこのような信心の人を釈迦如来は私の親しき友であると慶んでおられると大無量寿経下巻の釈尊のことばを引いて説明されています。さらには、善導大師の観経疏
散善義のことばを引いて“この信心の人を信の仏弟子といへり”と親鸞聖人はこの手紙のなかで説かれています。
そして次に“この人を正念に住する人とす。”となっています。“正念”の意味には第一書簡にもありましたように、親鸞聖人が“他力の中の他力の正念”とのべられたほかに“自力の正念”もありますが、この場合は“他力の中の他力の正念”であることはいうまでもありません。そしてこのような人を“金剛心を得た人”、“上上人(じょうじょうにん)”、“好人(こうにん)”、“妙好人(みょうこうにん)”、“最勝人(さいしょうにん)”、“稀有人(けうにん)”と荘厳されています。これらの意味は現代語訳でも申し述べましたので、ここでは繰り返しません。そして、更に“この人は正定聚(しょうじょうじゅ)のくらいにさだまれるなり”とし“しかれば弥勒仏(みろくぶつ)とひとしき人とのたまへり”と正定聚の人を、釈尊の後を継いで、必ず仏になる弥勒仏とひとしいと述べ、そして、最後に、弥勒菩薩は仏になるべき菩薩だと定まっているのと同じように、真実信心を得た人は、必ず真実の浄土に往生するなりとしるべしと力強く結んでおられます。
今月はこれで終わります。
| 第二書簡 4 この信心をうることは、釈迦・弥陀・十方諸仏の御方便よりたまはりたるとしるべし。しかれば諸仏の御おしえをそしることなし。 仏恩のふかきことは、解慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第廿 の願の御あわれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきわもなし。 いかにいはんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかむこと、仏恩よくよく御安ども候べし。 これさらに性信坊・親鸞がはからひ申すにはあらず候。ゆめゆめ。 建長七歳乙卯十月三日 愚禿親鸞八十三歳書之 |
◎『現代意訳』(現代意訳には増谷文雄著「親鸞集」、加藤辨三郎著「末燈鈔」、阿満利麿著「親鸞からの手紙」、石田瑞麿著「親鸞と
その妻の手紙」などを参考にさせていただいて、最終的には自分の意見で作成しています。)
この信心を得ることは、釈迦如来・阿弥陀如来 さらには十方世界の全ての諸仏が、煩悩の縛りから抜け出ることができない私たち衆生を根底から救おうとするおはたらきによって与えられたものと知るべきです。すべて仏のはたらきであり、自分の功や、はたらきによってつくりだす信心ではないのですから、
全ての諸仏を謗ってはなりません。お念仏の教え以外の仏道を行ずる人も謗ってはなりません。また、私たち、念仏を行ずる者を憎み謗る人をも、逆に憎み謗ってはなりません。
念仏の真実のよろこびに気づかない人として、気の毒に思い、悲しむ心をもって接することですと師の法然上人も常に仰せられていたことを、あらためて申し上げます。
仏恩がどこまでも深いことは、釈迦・弥陀のおたすけを願いながらも自力の心を抜けられないために真実の浄土に生まれることができず、懈慢・辺地などという仮の浄土ににしか 往生できないような人をも、第十九願・第二十願といったお誓いをたてられ、いずれは真実の浄土に往生させていただくことができるのです。ほんとうに仏恩の深さは、果てしもなく 深いものです。ましてや、第十八の念仏往生のご本願によって、真実の浄土に往生して、この上なきさとりが開けることを約束されているということ、この仏恩、よくよく、何回も味わい、 かみしめ感謝をもって味わうべきでしょう。
以上申し上げたことは、私、親鸞や性信坊がいい加減な、はかりごとでいっているのでは決してありません。
建長七年十月三日 愚禿親鸞
【HP作成者感想】
いよいよ、第二書簡の最後の部分になります。今月も、一つ一つの文章を、よく吟味しながら味わっていこうと思います。
先月の親鸞聖人のお手紙で、釈迦・弥陀・十方の諸仏がみな同じこころで、本願念仏の衆生には、影のかたちにそうように、常に、はなれず見守っておられ、そしてこのような念仏の人を、わが親しき友なりとよろこび、
この人を正念に住する人、金剛心を得た人、上上人、好人、妙好人ともたたえられ、最後には弥勒仏にひとしきひととものべておられ、真実信心を得たる故に、かならず真実の浄土に往生する人だとたたえられています。
そして次に、このように素晴らしい浄土往生を約束された信心の人になれたのも、決して、その人自らの力でそうなったのではなく、すべて釈迦・弥陀・十方の諸仏のおはたらきの結果であって、十方の諸仏とは、
すべての諸仏ということだから他宗派の人々が崇めている諸仏を謗ったり、聖道門や他宗派の人々の信心を謗(そし)ってはならないこと、たとえ、相手から憎み謗られるようなことがあっても、それらの人々を憎み謗ってはなら
ない、むしろそのようなひとを気の毒に思い、悲しむ心を持つべきだと、師の法然上人も云われたと書かれています。これはやはり、これら数多くのご消息を書かれる原因となった関東での教えの乱れ、造悪無礙や他宗派との軋
轢(あつれき)をいましめる親鸞聖人のこころを、ここに見ることができます。
次に弥陀の深い慈悲にもとづく他力往生の真髄を体感することができず、あれこれと自分のはからいで浄土往生を遂げようとする、いわゆる自力の人たちであっても、弥陀は第十九・第二十の願を用意され、一旦は懈慢辺地・
疑城胎宮といった仮の浄土に生まれても、いずれは真実の浄土に生まれ、仏に成れるように道筋を立てられます。ところで、この懈慢辺地とか疑城胎宮とはどのような事柄をあらわしているのでしょうか。私はこれは、生きている
間のことを云われているような気がしてなりません。すなわち、一切のはたらきである弥陀の懐にあることを体感できず、常にあれこれと、往生浄土のために、はからうのだけれど、しかし心のどこかに不信がひそむので、
才市妙好人のように、その心に浄土をみることができずに死を迎えるということではないでしょうか。しかし第十九・第二十願の誓いによって大悲の無限の慈しみのもとに、いずれは真実の浄土に迎え入れられるという
ことでしょうか。皆様のご意見を仰ぐところです。
さて、このように自力のはからいの中にあって往生を求める人でも弥陀は摂取して捨てないという誓いを第十九・第二十の願によって誓っておられるわけですから、ましてや、第十八の念仏往生の本願を間違いなく信受して
大涅槃のさとりが開けるという仏の限りない恩徳は、いくら感謝しても感謝し尽くせないということを、親鸞聖人は「いかにいわんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかむこと、仏恩よくよく御案ども候べし。」
と表現されています。
ここで、“仏恩よくよく御安ども候べし”ということばですが、この部分の現代語訳を読みますとどの本の訳も“よくよく仏恩の深いことを思わなければならない”とか“よくよく仏恩の深いことを考えなさい”という譯になって
います。どうやら文脈から見て“思わなければならない”とか“お考えなさい”という部分は原文では“御安ども候べし”というところが、それに当たりそうです。しかし、どうして“御安ども候べし”が“よくよくお考え
なさい”ということになるのか、最初まったく分かりませんでした。まず考えられるのは“御安ども候べし”を“御安堵も候べし”ともとれそうですが、これでは“御安心なさい”ということになって、まったく、どの本の
現代語訳にもあてはまりません。いろいろ調べた結果、“御安”ということばが末燈鈔の中にあるかどうか、もし“御安”ということばがあれば、“御安ども”は“御安共”といった意味になるのではないかということです。
そこで、今度はご消息等、親鸞聖人が書かれた文章のほか、鎌倉初期当時の文章で“御安”という言葉が使われている所はないだろうかと探すことになりました。また、別の事柄として、このテキストで“御安ども”
となっている部分を他の本で調べますと“御案ども”となっているものもあります。さらには“御按ども”となっている本もありました。
そこで、このようなことをベースに末燈鈔を含む、親鸞聖人のご消息集をあたっていきますと、ありました。先ず、この部分の“御安”については“御案”になっている本もあります。これをもとにして、調べますと、
まず末燈鈔第15書簡に『他力によりて信を得てよろこぶこころは如来とひとしと候ふを、自力なりと候ふらんは、いますこし承信房の御こころざしの底のゆきつかぬやうにきこえ候ふこそ、よくよく御案候べし』の
ように立派に“御案”が独立して使われています。これと同じ“御案候べし”の表現は、末燈鈔ではありませんが、本願寺出版社発行真宗聖典ご消息第25通にもあります。すなわち、“御案候べし”は、“お考えなさい”
ということになります。これはもちろん“御安候べし”としても同じことです。次に“ども”ということばですが、古語辞典を引きますと、“ども”は名詞や代名詞について複数の意味をあらわすとなっています。そこで、
またこの“ども”を使った親鸞聖人の文章を調べますと、これもありました。すなわち「歎異抄 後序」に『故聖人の御心にあいかないて御用い候御聖教どもを、よくよく御覧候べし』のような使い方です。“御聖教ども” という使い方は、「複数の御聖教をよくよく御覧候べし」というように複数という意味がはっきりと表れています。したがってこれを“御安ども候べし”にあてはめますと“何回もお考えなさい”ということになり、
“仏恩の有難きことを繰り返し考えなさい”ということになり、“御安候べし”よりも“御安ども候べし”の方が、より事柄を強調した意味合いになります。このように、苦労して親鸞聖人のこの部分の言葉をなんとか
理解できましたが、一般の現代譯では、どの本にも、この部分について何の解説もなく、この部分はこのように現代語で読みなさいといわんばかりに判で押したように、“御安ども”という現代では、なかなか、その意味が把握できない語について何の[解説]もなく、いきなり現代語訳ではこのように意味に受け取りなさいといわんばかりに、いきなり現代訳が記述されているものばかり
でした。これはどういうことなのだろうと、不思議に思ったことでした。
最後に「これさらに性信坊・親鸞がはからひ申すにはあらず候」と、性信坊と親鸞が、はからっていい加減なことをいっているのではありませんと確認のことばを書いておられます。
これも、当時、関東での、教えの混乱の様子がよく分かり、そして、親鸞が大変信頼していた門弟の一人である性信坊や、親鸞自身が、その混乱に懸命に対処していた様子が偲(しの)ばれる文章であることが、よく味わえます。
今月はこれで終わります。
| 第三書簡 信心をえたるひとは、
かならず 正嘉元年丁巳十月十日 親 鸞 |
◎『現代意訳』 今回はすべてHP作成者で訳してみました。
信心をいただいた人は、かならず正定聚の位(いのちおわったあと、仏と一体になり、ほとけのさとりのままにはたらける位)に住することになるので、これを等正覚の位(仏のさとり、すなわち正覚にひとしい位)というのです。「大無量寿経」には仏に摂取され捨てられることのない利益(りやく)に定まるものを正定聚と名付けられており、「無量壽如来会」というお経には、このような人は等正覚にある人と説かれています。その名こそ異っていますが、必ず佛に成る位も、佛と等しいさとりの位にあることも、同じ一つの意味であり、おなじ位であります。
等正覚、すなわち佛と等しいさとりの位ということは、やがて釈迦牟尼仏の位につくことがきまっている弥勒菩薩と同じ位です。だから、大無量寿経には“次如弥勒”というふうに表現されているのです。
弥勒菩薩は既に仏に近いさとりの境地にある菩薩ですから、諸宗でも、弥勒菩薩ではなく弥勒仏とも申しているのです。したがって、弥勒と同じ位ということは、正定聚の人は如来と等しいというのです。浄土真実の信心にある人は、この身こそあさましい、悪をのがれられない存在ではありますが、こころはすでに如来とひとしいと申すこともあるのだこころえてください。弥勒仏となれば、これは、すでに、無上のさとりに
さだまることになるわけですから成仏の暁には浄土において三回の仏の説法をされるので、これを三会の暁というのです。
真実に浄土往生を願うひとも、このことをよくこころえられてしかるべきでしょう。
中国の光明寺におられた善導大師が著された「般舟讃(はんじゅさん)」には、信心の人のこころはすでに浄土にあるのだと注釈されています。浄土にあるということは、信心のひとのこころは、すでに、つねに、浄土に居るのだということです。このことを弥勒と同じだというのです。すなわち、等正覚を弥勒と同じというのですから、信心の人は如来とひとしいという意味になるのです。
【HP作成者感想】
まず、この書簡の文章こそ、晩年の円熟した親鸞聖人の思想の根幹を語るものだということを申し上げたいと思います。
すなわち、信心を得たる人は正定聚のくらいに住する人なのだから、等正覚のくらいに定まっている人ともいえると述べておられます。
ここで正定聚という言葉は、今までも度々出ていますが、端的に言えば“浄土に往生して仏に成ることを約束されたくらい”ということができます。
それでは“等正覚”とは、どういうことなのかといえば、正覚に等しい位ということができ、ここで、正覚とは仏のさとりを意味することばでありますから“等正覚”は仏の正覚に等しい位ということになります。それでは“正覚”と“等正覚”は同じことなのかといいますと、親鸞聖人は、はっきりと同じではないという見地から文章を書いておられます。それは原文6行目で“等正覚ともうすくらいは補処の弥勒と同じくらいなり。”とあります。等正覚の人はいまだ修業中の弥勒菩薩と同じといっておられるわけで、仏と同じとはいっておられません。この場合は決して、同じとは云われず、例えば、同じく原文10行目にありますように「しかれば弥勒におなじくらゐなれば、正定聚のひとは如来とひとしとまふすなり」と仏である如来に対しては、
決して“同じ”ということばは、他の親鸞聖人が著された文章でも使っておられません。したがって、真実の信心に目覚めた正定聚の人は、菩薩と同じ、如来と等しいということになり
ます。私たちは身も心も煩悩に満ち溢れた衆生であることにかわりなく、このことをしっかりと自覚することが大切ですが、この煩悩にあふれた身と心にあっても、こと浄土を思うとき
は、真実信心の正定聚の人にあっては、上記原文で親鸞聖人が善導大師の般舟讃のことばを紹介していわれているように、“この心すでに、つねに浄土に居す。”ということになるので
はないでしょうか。また、このことは、和讃の「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり」ということでもありましょう
。
ところで、このような親鸞聖人の晩年の御消息における文言と、同じく親鸞思想に関わって有名な「歎異抄」の文言を比較して申し上げますと、歎異抄は、その流れるような美しい宗
教的文章と、世間的な常識を打ち破る鋭い筆致による思想内容から、有名な日本仏教の書物の一つとされているところではあります。“悪人正機”や“地獄一定”、“念仏は無義をもっ
て義とす”のほか、私たちの心を強く引き付ける深い思想内容を持った文章が並んでいるにもかかわらず、結局第十五条の末尾の文章まで読み進みますと、その部分で“浄土真宗には、
今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをひらくとならい候ぞ”ということを唯円は強調し、いわば、浄土を死後の世界、十万億土の彼方の世界として、私たち生きる人間には感ずる
ことも、よろこぶ心をも起こさせない隔絶した世界にしてしまっているところが、すくなくとも私には感じられ、浄土教を死後のことのみを説く宗教にしてしまっているところがあるよ
うに思え、上記のような素晴らく深い仏教思想があるにもかかわらず、この第十五条を読み終わった後、本を閉じてしまった覚えがあります。
そのような状態から再び輝ける親鸞の思想に気付かされたのは、今読み進めている「末燈鈔」、わけてもこの第三書簡にある正定聚・等正覚の思想であったということを、述べさせてい
ただきます。ここには、死後のあの世だけではなく、現実に生きる今、ここで、私に弥陀の恩徳が届いているという感覚が、無限の明るさをもって私の心を充たします。唯円の云うように、
この身はたしかに漏れだらけの煩悩に満ちた私であることに変わりはありませんが、そのような、なんとも救いようのない私にも、生きて今、弥陀の恩徳が届いているという実感が沸い
てきたからです。そういえば、歎異鈔には“正定聚”や“等正覚”という言葉は一切ありません。やはり歎異抄は唯円の眼とあたまを通して述べられた親鸞の思想であるのに対して、親
鸞の和讃をはじめ、末燈鈔などの御消息は、親鸞自身の手になる文章であり思想であることをここでおさえておくべきでしょう。ちなみに、この世において弥陀の恩徳を感じられてこそ
、はじめて、死後の真実の浄土往生もありうるのではないかと思っているところです。皆様の思索とご意見をいただければと存じます。
次いで原文中ほどから、弥勒菩薩と正定聚の関係について述べておられます。弥勒菩薩とは釈尊の跡を継いで仏となられる菩薩です。すなわち、今は菩薩ですが、いずれは仏になるこ
とを約束された方です。正定聚の人は、この弥勒と同じというわけです。しかも弥勒菩薩は釈尊滅後56億7千万年もの長い修業を経た後に仏になるのですが、正定聚の人は、第十八の念仏往生の願にも誓われていますように、念仏ひとつで、いのち終われば直ぐに真実の浄土に往生し仏となることができるという存在です。弥勒菩薩に比べてなんと速やかな成仏ではありませんか。親鸞聖人は、このことを横ざまに超えるという意味で、“横超”という言葉で表現されています。いのち終わったらすぐに、さとりが開かれるということでしょうが、正定聚の人は生
きて、仏と等しい位にいたる人、すなわち、善導大師がいわれているように、こころは浄土に居す人ともいえるのではないでしょうか。
善導大師の観経疏 散善義には次のような大師の教えもあります。
【三心釈】
「一には決定(けつじょう)して深く、 自身は現にこれ罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫、曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没(もっ)しつねに流転して、 出離(しゅつり)の縁あることな
しと信ず。l
「二には決定して深く、 かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受(しょうじゅ)したまふこと、 疑いなく慮(おもんぱか)りなく、かの願力(がんりき)に乗じてさだめて往生を得(う)と信ず
。」
【唯信仏語】
「また深信(じんしん)とは、 仰ぎ願はくは、 一切の行者等、 一心にただ仏語を信じて身命(しんみょう)を顧(かえり)みず、 決定(けつじょう)して依行(えぎょう)し、
仏の捨てしめたまふをばすなはち捨て、 仏の行ぜしめたまふをばすなはち行じ、 仏の去らしめたまふ処をばすなはち去る。これを仏教に随順し、仏意に随順すと名づく。
これを真の仏弟子と名づく」。
まことの信心の世界というものは、私たちの念仏生活の中では、出る息、入る息、一挙手一投足、一念一念、とにかくどんな場合もすべて弥陀の大いなる懐(ふところ)のなかの事柄な
のだということでしょう。すべて南無阿弥陀仏の世界の中なのだということではないでしょうか。信心の世界がひらけた人というのは、このような感覚の持ち主であるということもでき
るのではないでしょうか。
今月はこれで終わります。
| 第四書簡 これは経の 正嘉元年丁巳十月十日 親 鸞 真仏御房 |
◎『現代意訳』 今回もすべてHP作成者で訳してみました。
これは経にある文です。
『華厳経』にいわれている「信心歓喜者与諸如来等」というのは「信心をいだいて心からよろこぶ人はもろもろの如来と等しい。」ということです。
もろもろの如来と等しいということについて、釈尊のおおせでは、信心を得て大いによろこぶものを「(仏の法を聞きよく忘れず、)見てうやまい、得て大いに慶ぶ者は私のよき親友である」
といわれています。
また、弥陀の第十七の願には「十方世界の数かぎりない仏方がことごとくほめたたえて我が名を称えなければ私はさとりを開かない。」とお誓いになっています。
そして、願成就の文(大無量寿経下巻冒頭の文)には、第十七願が成就して、よろずの仏に讃嘆されたので、弥陀仏はよろこばれたと書かれています。
これらは、如来と等しいということを述べている経の文をあげて記したものです。
【HP作成者感想】
この書簡も第三書簡とほぼ同じ趣旨の「信心をよろこぶ人は如来とひとしい」ということがらを、『華厳経』や『大無量寿経下巻』および、おなじく『大無量寿経上巻』にある『弥陀の第十七願』の文言をひいて説き明かそうとされています。
まず、『華厳経』については、教行信証の信巻にも「聞此法歓喜信心、無疑者、速成無上道。与諸如来等」すなわち、「この法を聞いて信心を慶び、 疑いなきものは、
すみやかに無上道を成就するだろう。これは もろもろの如来と等しということだ」とも書いておられ、このことを、この書簡でも述べておられるのでしょう。
更に、大無量寿経の下巻の【28】(本願寺出版発行 真宗聖典)にある「(聞法能不忘)、見敬得大慶、則我善親友」すなわち「(この法を聞きて、よく忘れず)、見て敬い得て大いに慶ばば、すなわち、わが善き親友なり」とあること、および最後に、弥陀の第十七願「十方世界無量諸仏不悉咨嗟称我名者不取正覚」すなわち「十方世界の数かぎりない仏方がことごとくほめたたえて我が名を称えなければ私はさとりを開かない。」の文言をあげ、このように『大無量寿経』下巻冒頭の願成就の文にも、願を成就された弥陀仏は、よろずの仏方に讃嘆されたので慶ばれたと見えている。このことは、少しも疑うべきではありませんと聖人は述べられ、これらの経の文は、信心をよろこぶ人が如来とひとしいという事柄の根拠であると述べておられます。
ところで、この第十七願の文中の“咨嗟”ということばですが、仏教語大辞典では“ししゃ”と読み「ほめたたえること」「讃嘆すること」のみの語釈になっています。ところが広辞苑など現代語国語辞典では“咨嗟”は“しさ”と読み「ため息をついて嘆くこと」となっています。広辞苑に載っているから現代語と見るのですが、これもどの程度現代語なのか、このような言葉を使ったり、使われているのを聞いたりすることはまずありません。このようなことから“咨嗟”を「ほめたたえる」と解釈するよりも「ため息をついて嘆く」という意味にとった方がいいという意見が、或る人からでたことがあります。その理由は、第十七願の和文の文言中で「ほめたたえて我が名を称(とな)えなければ私はさとりを開かない。」の下線部の語句を挙げて、“ほめたたえて”おいて“称(とな)えない”のはおかしいというのです。このような解釈は第十七願の正しい受け取り方ではないのはもちろんですが、上記のように“咨嗟”の意味に「ため息をついて嘆く」というのがあるのも影響しているからだとおもうのです。したがって、この第十七願の和文訳を「十方世界の数かぎりない仏方がことごとく感嘆して我が名を称(たた)えるようにならなければ私はさとりを開かない。」とか「十方世界の数かぎりない仏方が感嘆して我が名を称(たた)えることが悉くでなければ私はさとりをひらかない」のように和訳すると上のような第十七願の趣旨を否定するような解釈にはならないわけです。
“称(たた)えない”とか“称(とな)えない”とかという否定形は第十七願の漢文の“不悉”の“不”の部分からの影響があるように思われます。この場合の“不”は、すぐ次の“悉”を否定しているので、“称(とな)える”とか“称(たた)える”ことを否定しているのではないからです。以上、こまかい事柄の説明になってしまいましたが、上記のような受け取りをする方がありましたので、いささか冗長になりましたが記させていただきました。
最後に、この第四書簡を読む中で気づいたことですが、一つ前の第三書簡と、この第四書簡を親鸞聖人は正嘉元年十月十日という同じ日に、同じような内容で出しておられることです。しかも親鸞聖人が最も信頼しておられた性信と真仏に、このように同一、同内容の書簡を出されるには、かなり差し迫った理由があったのではないかと推測するところです。
今月はこれで終わります。
| 第五書簡 自然といふは、自はをのづからといふ、行者 |
◎『現代意訳』
自然というのは、自とは“おのずから”ということであって、念仏者の“はからい”をいうのではない。 然というのは“しからしむ”ということばである。“しからしむ”ということは念仏者のはからいではなく、如来の御誓いであるから、これを法爾という。法爾というのは如来が、わたしたちすべての衆生を救いとろうという誓いのはたらきだから、しからしむるを法爾というのです。法爾はこの如来の御誓いであるから、念仏者のはからいではなく、法の徳によって爾らしめられるということです。すべての人がこちらから、ことさらに、はからわないことをいうのです。
したがって、これを“義なきを義とす”というのです。
自然というのは“元よりしからしむ”ということばです。弥陀仏の御誓いは本来、念仏者のはからいではなくて、南無阿弥陀仏と頼ませて、頼むものを迎えようと、おはからいになったことであるから、念仏行者が、これは良いとか、これは悪いとかといって、弥陀のおはからいの良し悪しを思わないのを自然というのだと法然上人から受けたまわっています。
御誓いの要点は浄土往生を願う衆生を無上仏にしようという誓いなのです。無上仏と申す仏は我々衆生に全き、いのちを与えようとするはたらきそのものですから、形はありません。“おのずからしからしむ”という仏のはたらきでありますから、このことを“自然”というのです。形があるとなると、これは有限の存在になり無上のさとり(無上仏)とは申しません。したがって、形のない、はたらきそのものであること(無上仏)を私たち衆生に示されようとして法蔵という形ある菩薩がさとりを成就されて阿弥陀仏になられたのだと法然上人から受け賜っています。阿弥陀仏は形のない無上仏、すなわち自然のありさまをしらせようとして“如”すなわち、形のない法の世界から顕れたもうた仏さまなのです。このことわりをこころえた後には自然のことはつねに世間智でもってあれこれと理解しようとすることではないのです。このような世間智でもってあれこれ理解しようとすることは、義なきこと(沙汰できないこと)が本意であるのに、なお無駄な思慮分別を加えることになるからです。これは如来の智慧が世間智を超えたものであるからです。
正嘉二年(1258年)十二月十四日 愚禿親鸞 八十六歳
【HP作成者感想】
第五書簡、この自然法爾章は、三帖和讃(文明本)の最終章にも置かれ、親鸞思想の要(かなめ)を顕す文章として、よく取り上げられています。しかし、私自身には、要点としては大変つかみにくい文章のように思われます。たとえば、第一書簡にあった、来迎に関連して“信心のさだまるとき往生またさだまるなり。来迎の儀式をまたず。”などは、高度な宗教的共感が必要であることから、大変難解なようですが、これが親鸞の思想だ!といった思いが素直に伝わってきます。それに対して、この第五書簡は、昔から“自然法爾章”といわれながら、本文の中では、「自然というは」とか「法爾というは」とか、自然と法爾とが別々に説かれており、少なくとも自然法爾としてまとまって説かれているところは一か所もありません。そういったところもあって、私には、ここで語られている親鸞聖人のことばが、親鸞思想の要(かなめ)を顕す文章として味あわせていただくのに、大変困難を感じるわけです。むしろ、はるばる関東の地から、身命をもかえりみず、京都の親鸞の寓居をたずねた念仏者
顕智が、彼らの集団の中で、しばしば話題になる“自然”とか“法爾”とか、また、末燈鈔には、その部分はありませんが、三帖和讃の最後に出てくる“獲”と“得”の違い、“名”と“号”の違いなど、日ごろの信心生活の中で使われている言葉について、この際、ぜひ親鸞の考えを、お聞きしておきたいという、顕智房の切実な疑問に対して、誠実に答えている親鸞の姿、この二人の姿が目に浮かんでくるのです。真宗史をひもときますと、顕智が、懸命に親鸞の語るところを聞き書きしたこの時、すなわち正嘉二年十二月という時期は、顕智の直接の師である真仏房が、その同じ年の三月に亡くなって半年余のことです。真仏の第一の門弟としての顕智は真仏亡き後の念仏集団を率いていく切実な思いがあったのに違いありません。その意味で、“獲と得の違い”とか“自然”とか“法爾”とかの背後にある重要な意味について、一語をも逃さず聞き尽くそうという顕智の思いの切実さが伝わってきます。
しかし、やはり、親鸞聖人が三帖和讃を完成され、擱筆されるに際して、顕智が聞き書きし、文書化された法語として関東の念仏者の間で大切に読まれていたものを、八十八歳という御歳 窮まったこの時期にあらためて三帖和讃の最後に入れられた経緯を考えますと、親鸞聖人も自らの思想を語る重要な文書として見ておられたということがわかります。
そこで、この第五書簡を味あわせていただくにあたり、昨2014年10月の「こころのことば」でも行いましたが、この自然法爾章をいくつかの段落にわけて、さらに、昨年10月の段階では、まだ気が付かなかった事柄も含めて、味あわせていただきたいと思います。
まずは上記原文のはじめから14行目の終わりまで。ここでは“自然”という事柄、“法爾”という事柄について、親鸞聖人は懇切に噛んで含めるように説いておられます。まず、“自然”における“自”は、おのずからということであって念仏者の“はからい”が入らないこと。また“然”といのは“しからしむ”ということであって、これも念仏者のはからいではなく如来の御誓いによるはたらきであってこれを法(仏法)の爾らしむるところ、すなわち“法爾”というと述べられ、さらに、法爾というのは仏の御誓い(仏法)の徳のゆえに、そのはたらきによって“しからしむ”というのである。したがって“義なきを義とす”、即ち我々衆生が世間智でもってはからうことはできないということを本当の意味とするのだと念を押されます。更に“自然”というのはおお元の、つまり人智を超えたところからのはたらきによって、しからしめられるということばである。すなわち弥陀仏の御誓いという根元的な事柄によって“しからしめられる”ことであって、念仏者がはからうことができることではない。これはひとえに南無阿弥陀仏と衆生に称えさせて大いなる仏の懐に迎えようという“はたらき”であって、念仏者が良いとも悪いともいえない事柄を指して自然というのだと師の法然上人からお聞きしている。このように聖人は上の原文全24行の内、半分以上の14行をつかって、自然も法爾も如来の本願に基づく他力によるものであることを、顕智に説いておられます。
そして次に、続く原文15行目において誓いのよう、すなわち本願の主旨は衆生を無上仏にするということだと厳然と述べておられます。これこそ仏教の根本原理そのものではないでしょうか。そしてその次から無上仏というのはと、無上仏のありさまについて聖人は述べられます。無上仏というのは形がないのだ、形がない故に自然というのだと述べられます。これはどういうことでしょうか。私が考えますに、自然とは仏の本願がおのずからしからしめる“はたらき”でありますから、“はたらき”に具象的な姿・形はありえないでしょう。そして聖人は形あると示すときは無上涅槃とは申さずと述べられます。従って、無上涅槃、すなわち無上のさとりには形はなく、しからしむるはたらき、そのものだということになります。では無上のさとりとはどのような“はたらき”なのでしょうか。私が考えますに、そのことは私たち衆生を“全きいのち”すなわち“無上仏”にするはたらきそのものではないでしょうか。そして形がなく、はたらきそのものである有様を、あえて“法蔵菩薩”という形ある修行者が本願を成就した結果、阿弥陀仏になられたことをもって、私たち衆生にわかるようにされたのだと法然上人から聞きならったのだと、親鸞聖人はいわれます。すなわち、阿弥陀仏は自然、すなわち我々衆生に全きいのちを与えんとするはたらきを知らせようとする“てだて=れう”だといわれるのです。となると阿弥陀仏とは私たち衆生に全き救いを与えんとする“はたらき”そのものであることになります。
そして最後に、この道理を心得た上には、自然のことは、つねにさたすべきにあらざるなりといわれます。なぜなら自然とは本願のはたらきによって、おのずと仏に摂取され、しからしめられることであって、私たち衆生の世間智でもって、あれこれ“はからい、さた”することができないことだからです。これは世間智によっては議論を超えたことを議論するようなことになるからであります。これは、ひとえに“信”の世界であって、仏智すなわち仏の本願は衆生の思議を超えた無限のはたらきだからだと聖人は結んでおられるのだと私には思えます。
今月はこれで終わります。
| 第六書簡 なによりも、こぞ・ことし、 文応 乗 |
◎『現代意訳』
なによりも、
故法然聖人は、「浄土宗のひとは
文応元年(一二六〇)十一月十三日 善信 八十八歳
(注) 正定聚:必ず浄土に往生し仏になることを約束された衆生
【HP作成者感想】 まず、書簡の文章は、こぞ・ことし、すなわち去年から今年にかけて、老少男女を問わず、多くの人々が命を落とすことになったのを深く悲しんでおられることから始まります。これには、このように聖人が書き始められなければならない背景がありました。それは、この年の前年、正元元年から始まる日本全国に広がった大飢饉です。この様子を霊山勝海著『親鸞聖人ご消息』には次のように書かれています。『この手紙の書かれた文応元年(一二六〇年)および前年の正元元年は、異常事態が発生して関東においても多くの念仏者をふくむ人びとが死亡しました。正元元年はひどい冷害で、諸国においてはなはだしい飢饉がおこり、それに追いうちをかけるように疫病が流行して、多数の死者をだしました。幕府も朝廷も有力社寺に命じて、『最勝王経(さいしょうおうきょう)』などを読誦させて、飢饉・疫病をはらわせますが、事態はいっこうに鎮静しません。当時の記録をみますと、呪法・祈祷の記事が紙面をうめています。『百練抄(ひゃくれんしょう)』[(注)鎌倉時代後期の歴史書]には飢餓に耐えかねた、京都壬生(みぶ)の少女が死屍(しかばね)を食ったと記しています。正元二年(=文応元年)正月に院の御所の壁には『年始凶事あり、国土災難あり、京中武士あり、政(まつりごと) にひがごとあり、朝議(朝廷の決め事)にへんぱ(偏頗)[(注)偏り、不公平]あり、諸国飢饉あり、河原白骨あり・・・聖運すでに末にあり』と落書がありました。この年七月に書かれた日蓮上人の『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』には「天変・地夭(ちよう)・飢饉・疫癘(えきれい)あまねく天下に満ちて、広く地上にはびこる。牛馬ちまたにたおれ、骸骨路に充てり。死をまねくやからすでに大半を超える」と記しています。 慢性的な飢饉のつづく中世にあっても、歴史に特筆される大飢饉に、常陸国(ひたちこく)でも多くの念仏者が、まるで地獄絵巻さながらの姿で死んでいったのでしょう。阿弥陀仏はこの人びとに来迎の奇跡を現されることもありませんでしたと、乗信房(じょうしんぼう)はうらみごとめいたことも書いて、都の聖人のもとへ報告し、また教示を仰いだのでありましょう。それに対する返事が
この手紙であります』。 この第六書簡を親鸞聖人がお書きになる元になった関東の乗信房からの手紙には、おそらく、この悲惨な事柄に対して、神も仏もないのかといわんばかりに、聖人へ訴えかける部分があったのかも知れません。それに対するお返事がこの手紙です。聖人はいわれます、まことに多くの人々が次から次へと、悲惨な死に方をしていったのは限りなく悲しいことだけれども、生死無常の理(ことわり)は経の中で、何回も説かれていることだから、驚きおぼしめすべからず候。すなわち驚き慌てることではありませんと、聞き方によっては、突き放しているともとれるようなことばを与えておられます。しかしこれは決して、そのような突き放しではなく、それまでに共に学び、共に信じてきた弥陀の御誓いにもとづく教えでは、信心決定の人は人生の根本問題である生死のことわりは、すでに弥陀の御はからいの中で解決しているのだから、たとえ臨終のありさまがどうであろうと、たとえそれが悲惨なものであっても、決して絶望して自暴自棄になることではないといさめ、励ましておられます。そして、共に学び、共に信じ、聖人御自身が人にも勧めてきた仏の教えは間違いなかったのだと、あらためて確信をもって書いておられます。
乗信房が「如来の御はからいにて往生するのだ」と、ひとびとに伝えていることは、「浄土の教えとして、少しも間違ったことではない。」と聖人は乗信房を励まし、そして聖人も「かねがね、おのおの方に、私(親鸞)もそのように申し上げてきたことは決して間違っていない」のだと、あらためて、ここで確認しておられます。それでは、そのように言われる聖人の
お心の内は、どのようなものだったのでしょうか。なるほど、大飢饉に遭遇して、人々が次々と悲惨な死に方をしていく、それに対して仏教は祈祷しようとお祓いしようと悲惨な状態は一向によくならない。仏教は、このように悲惨な現実への物質的対処においては本当に無力である。しかし、そのような人間存在の無常は、今まで伝えられている聖教で度々教えられていることである。それでは仏教は、とりわけ法然浄土教は、この悲惨な現実に対して何ができるのか、この後は私の想像ですが、そのような悲惨の極みの結果いのちを落とさねばならないことがあっても、真実信心にある人は、正定聚、等正覚の人として、往生浄土は必ず約束されている。それは、私がいつも申し上げていることだ、決して、神も仏もないのだと絶望し自暴自棄になることはない、いのちに関わるような苦難があれば、それに対して、力の限り、対処し、それでも、どうしても対処しきれないなら、究極において浄土往生という救いがあるではないか。如来の御はからいの中での生死である。生きては、力の限り、現実の困難に立ち向かい、力尽きれば、真実の如来のふところ、すなわち浄土に往生すればいいではないかと言われているように聞こえました。すなわち、親鸞聖人は、この世で、生まれ、生き、そして、生まれ、生きたが故に死んでいく衆生の究極の救いについて、ゆるぎない確信をもって、この手紙を書いておられるように思いました。
このような、大飢饉といわれるような、人の力ではどうしようもない大きな危機が現れた関東の念仏集団に対して、日蓮は、親鸞聖人が、この簡を書かれた同じ年の1260年に「立正安国論」を著して、法華経が唯一の救いになること、さらに、とりわけ法然の浄土教に対して、多くの紙面を割いて厳しい糾弾論を展開しています。あるいは、真言、あるいは天台、あるいは法然亡き後の浄土宗の僧ですら、関東での親鸞の念仏集団に対して論争と非難の矛先を向け、自分たちが奉ずる教えこそがすぐれていると挑むようなこともあったのではと思われます。このような論争の渦は、善鸞事件の痛手がまだ覚めやらぬ関東の念仏集団を揺るがそうとしたことは間違いないことだと思います。そのような状況の中にあって、親鸞は、いろいろな論争を挑んでくる他宗派の攻撃や更には親鸞の念仏集団の中にさえ造悪無礙や賢善精進など法然・親鸞の教えを逸脱したような議論をなす者もあり、原文終わりの三行目から二行目にかけての「かまへて、学生沙汰せさせたまひ候はで・・」と、いらざる論争にまどわされることなく、ひたすら念仏往生の教えにいそしみ、いずれ、いのち終わるときには、ゆるぎない浄土往生をとげられよと説いておられるのです。
大飢饉という容易ならぬ事態にあって、関東で親鸞の薫陶を受けた人々の上にも、他宗派から繰り出される法然・親鸞の教えに対する非難、同じ親鸞の同行・門弟の中での異義異解。このような状況下に関東の念仏集団があることが痛いほどわかる聖人は、人々が、なおのこと、金剛の信心をもって往生浄土されるように」と説き願っておられます。そして最後に「たとえ人にすかされずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、浮かれたる人なり。」と大変厳しい言葉を与えておられます。「浮かれたる人」とはどのような人なのでしょうか。多くの解説書に訳してある、この部分の訳のように、単に「おぼつかない人」とか「落ち着かない一」とかいった訳では済まない、親鸞聖人の厳しい思いと、言葉であります。すなわち、浮かれたる人とは、浮草のように根が大地にとどいていない人。大いなる如来の摂取の世界に根がとどかずに、虚無の世界に浮遊し、うごめくしかない人を指しているのではないでしょうか。まことに、厳しい聖人の心底からの言葉だと思います。
今月はこれで終わります。
| この第七書簡は、関東で親鸞の教えを受けた念仏者 浄信の上書(質問の手紙)に対する親鸞聖人の返書で あることが後に分かりました。したがって、第七書簡をいただくには、上記浄信の上書を前もって、読むことが必要かと思われます。お読みになる方は上の青字の「浄信の上書」をクリックしてください。 |
| 第 七 書 簡
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◎『現代意訳』
浄土に生まれるということは、なにごとも、なにごとも凡夫のはからいによるのではありません。如来の御誓いにおまかせしてはじめてかなうことなので、それをこそ他力というのです。さまざまに、はからいあっておられる有様は、滑稽なことです。
如来の御誓いを信ずる心が定まるということは、如来の方からの摂取して捨てないというはたらきによるのであって、摂取不捨であるからこそ、はじめて不退の位にさだまるのだと心得てください。(人が自力で高い境地に到達したために信の心が不退に定まるのではないのです。) だから、真実の信心に定まるというのも、決して壊れることのない信心が定まるというのも、自分が高い境地になるからではなく、ひとえに如来の摂取不捨のはたらきによるからなのです。そうであればこそ、この上もない、さとりに至る心もおこるということなのです。これを信のこころから決して退かない位とも、必ず仏と成る位ともいい、仏の正覚に等しい位ともいうのです。このこころのさだまるのを十方の諸仏はよろこばれて、諸仏のこころに等しいとほめられるのです。このゆえに、まことの信心の人をば諸仏と等しいというのです。また、仏となることが定まっている弥勒菩薩と同じともいうのです。この世にある間に、真実信心の人を守護してくださればこそ、阿弥陀経には十方の無数の諸仏が護り給うとあるのです。このことは、(いのち終わって)安楽浄土に往生した後に護り給うとうことでないのです。すでにこの世にある間に護って下さるということなのです。まことの信心の人のこころを、十方の無数の如来がおほめになるからこそ、まことの信心の人は仏と等しいというのです。
また、他力と申すことは、義なきを義とす、すなわち、自分ではからうことを離れ、ひとえに弥陀のはからいに預かるということなのです。如来の御誓いは推し量ることができない深いものであるがゆえに、仏と仏のあいだの御はからいであり、仏と成ってはじめてわかることなのです。けっして、凡夫のはからい得るところではありません。いずれ仏に成るはずの弥勒菩薩にしても、今は仏ではなく、総じて、人の思惟を超えた仏の智慧を計らえる人はありません。それゆえにこそ、弥陀の御誓いには、義なきを義とすと法然上人は云われていました。このこころのほかに浄土に生まれるために必要なことはないのだと心得て過ごしてきましたので、他の人がとやかく云っておられることを、気にすることはいっこうに要らぬことなのです。
【HP作成者感想】
第七書簡に先立って、冒頭のリンク(青字の「浄信の上書」)をクリックして、浄信の親鸞聖人に宛てた上書(質問の手紙)をお読みになった方はお分かりと思いますが、第七書簡は、この浄信の質問に対して関東で起こっている諸々の諸事情を頭において、懇切に、優しく、しかも厳しく、親鸞聖人が、お答えになった返書です。浄信房は関東において親鸞聖人の教えを熱心に聞き取った念仏者であったらしく、その手紙の初めのあたりには、“仏となる身より退かない位”など正定聚、現生不退といった親鸞聖人が、そのお手紙でも常々説いておられる事柄を書き記し、さらに、末燈鈔第四書簡にも見える「華厳経」の文言を引いて“信心をよろこび、疑うことがない人は、さまざまな如来に等しい”いった事柄も書き連ねています。ところが、そのあとに、第十七願に関連して、十方諸仏が弥陀をほめ称えることと、信心まことの念仏者が称名念仏することは、如来をほめ称えることにおいては同じことなのだから、十方諸仏は真実信心の人を指すもの、すなわち十方諸仏と、まことの信心の人は同じであると理解しておりますが、いかがなものでしょうかと、この点について親鸞聖人の教えをいただきたいと請い願う文面です。確かに、念仏者が称名念仏することは弥陀を讃嘆することに違いないのですが、このあたりの浄信の質問に聖人はどのようにお答えになるのでしょうか。このあたりを拝読していきたいと思います。ここでは、まず、親鸞聖人が浄土教の真実とはどういうことなのかということから説き始めておられることに耳を傾けることから始めましょう。
“往生はなにごともなにごとも凡夫のはからいならず”、すなわち浄土に往生するという、浄土教の根本問題は、どんな場合であっても、凡夫のさかしらな、はからいによるものではなく、自らのいのちの根源とする如来の御誓いにおまかせすることであって、それをこそ他力というのだと説き始められます。“おまかせする”、これも考えてみれば難解なことばです。娑婆世界において、“まかせる”ということは完璧にできることでしょうか?娑婆感覚でいう“まかせる”には、どこまでいっても、どこか、自力のにおいがします。俺はお前にまかせるぞ!とか、オマカセでーす”とかどこか完全にまかせきれないけれども、思い切ってお前にまかせるぞ!といった、自力のにおいがします。というよりも娑婆感覚では、本当にすべてをあげて、何もかも人に任せることができるのでしょうか。自我意識がまだ芽生えない乳飲み子が母親に全てを任せている姿は、自我意識が芽生えていないからこそそのような娑婆感覚では考えられない尊い姿になるのではないでしょうか。では、ここで親鸞聖人がいわれている“如来の御ちかひにまかせまいらせればこそ”ということは、どのような場合に成り立つのでしょうか。これは、どう考えても、やはり、真実信心の場においてこそいえるのではないでしょうか。たとえば“死”の問題についてはどうでしょうか、死の問題こそ、おまかせ以外にないのではないでしょうか。そうです、大いなるいのち、真実の親のいのちにおまかせするしかないのではないでしょうか。これを娑婆感覚では任せることができないので、“死”は徹底的に恐怖なのではないでしょうか。こう考えると、“死”の問題こそ、宗教の根本問題であり、信心の根本問題であり、真実信心において“おまかせ”が成立する大きな場面の一つではないでしょうか。親鸞聖人のいわれる“まかせまいらせたればこそ”とはそういう意味の“おまかせ”であり、それをこそ他力にては候、ということではないでしょうか。したがって、親鸞聖人は念仏を基軸として、すべてを弥陀の御誓いにおまかせするという見地からすれば、それ以外のことは不要なことであって、関東の念仏者集団において、歎異抄にあるように、やれ、汝は“誓願不思議”を信ずるか、“名号不思議”を信ずるかといった言い惑わしを議論したり、経釈をよく読んで学ぶことがないから往生が定まらないのだといってみたりする様な、はからいをしているのは笑止で滑稽なことだと、関東の信心の乱れを批判しておられます。そして、次に、如来の誓願を信ずる心が定まり、その信の心から決して退かないという不退の心の定まるのも、自らが高い境地に至っているからそうなるというのでは決してなく、ひとえに、如来の摂取不捨のゆえであるからだと、あらためて浄信の信心を確固としたものにするべく説かれます。摂取不捨ということばについて親鸞聖人は、ご自身が創られた浄土和讃において「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀と名付けたてまつる」とうたい、その摂取の文字の横に片仮名で“ヒトタビトリテ、ナガク、
ステヌナリ、セフ(摂)ハ モノニグルヲ、オワエトルナリ、セフ(摂)ハオサメトル、シユ(取)ハムカエトル”と左訓しておられます。すなわち、摂取というのは、モノ(すなわち、凡夫たる衆生)が煩悩のために真実の世界を嫌って弥陀の救いから逃げようとするのを、わざわざ追いかけてまで、自らの中に収め取ろうとするはたらきをあらわす言葉であると左訓しておられるのです。これほどにも弥陀の摂取不捨ということを徹底的・宗教的にあらわした説明はあるでしょうか? 平安時代の僧、恵心僧都源信の『煩悩に眼(まなこ)障えられて見ずといえども、大悲ものうきことなくて、常に我を照らすなり』ということばが想起されますが、“オワエトルナリ”とは、それ以上の強く、そして激しいとさえいえる表現ではないでしょうか。まさに摂取不捨だから、不退なのであり、確固とした正定聚の位なのであり、等正覚にいたるともいえるのではないでしょうか。だから、まことの信心をいただいた人を、諸仏と等しいというのであり、弥勒菩薩と同じということになるのだと説いておられます。ここで注意しなければならないのは、親鸞聖人はまことの信心をいただいた人を、諸仏と等しいと説かれ、弥勒菩薩とは同じと説いておられることです。親鸞聖人はまことの信心をいただいた人を諸仏と等しいとはいわれますが、諸仏と同じとは説いておられないことです。そして、同じと説いておられる対象は弥勒菩薩です。菩薩は仏ではありません。仏の一歩手前であっても、決して仏ではないのです。だから信心の人を弥勒と同じといっておられるのです。信心の人は決して、まだ仏ではないのです。このように説いて浄信が信心の人は諸仏と同じともとれる考えをもっていることを、この場で、はっきりと否定しておられるのです。
そして次に、阿弥陀経における諸仏護念ということを、信心の人は、諸仏に護念されるのだと説き、このことは、決して、いのち終わって真実の浄土に生れて後のことではなく、娑婆世界にいる今の時に諸仏は信心の人を護り給うのだといっておられます。聖人はここで「現生十種の益」の内の“諸仏護念の益”を説いて念仏者の現生における得益として浄信をはげましておられるように私には思えます。そして信心まことなる人を諸仏は護念し、ほめておられるのでこのような人を仏と等しいといわれています。ここでも親鸞聖人は、浄信がいうように、信心の人が、諸仏と一緒に弥陀をほめるということよりも、弥陀讃嘆の称名念仏する信心の人を、諸仏が私たちと等しい心だねと、信心の人をほめる、だから、信心の人は、弥陀をほめるというような不遜なことではなく、諸仏如来に褒められる立場なのだと説かれ、浄信が信心の人が諸仏と同じだともいえることを手紙で書いてよこしたのを、それとなく、たしなめてられます。
そして、最後の段落で、他力と申すことは“義なきを義とす”ということで、義とは行者おのおののはからいをいうのだと書いておられます。“義なきを義とす”、これも大変難解なことばであって、義とは、はからいのことであるとすると、“義なきを義とす”とは、直訳すると“はからいのないことをはからいとする”という、なんだか矛盾した表現になります。この点で、念仏者 加藤弁三郎氏が著されたご本「末燈鈔」に、この“義なきを義とす”ということを“自分がはからう心を離れ、弥陀のはからいに預かること”と訳されているのが、もっとも私にはぴったりと納得できました。そして、次に如来の御誓いということは、我々凡夫が推し量ることができないことであり、仏と仏のあいだの御はからいであると説かれます。“仏と仏のあいだのはからい”とは、これまた、どのように私たちは受取ればいいのでしょうか。このことも、「親鸞からの手紙」を著された阿満利麿さんが、“弥陀の誓願は凡夫には推し量ることができないことであって、それは仏になって、はじめてわかること”と説かれているのが、私にはもっともぴったりと受取れました。だから、仏と仏との御はからいということは、補処の弥勒でさえわからない、なぜなら補処の弥勒といえども仏ではないのだと、ここでも、浄信の信心の人が仏と同じだという見解を、別の例で、それとなくいさめておられることがわかります。そして最後に、如来の誓願には義なきを義とすと大師法然上人の常の仰せであったこと、この法然上人の教えの他に、浄土往生の道はないのだということを親鸞聖人ご自身は生涯こころえて過ごしてきたので、他の人が何といおうと、そのような人の言われることは一向に要らぬことだときっぱりと結論して、この手紙を終えられています。
今月はこれで終わります。
| 第八書簡 また 四土 三 三宝 四乗 二 二蔵 二道 二行 二超 二 二 思・不思 これらはかやうにしるしまふしたり。よくしれらんひとにたづねまふしたまふべし。またくはしくはこのふみにてまふすべくも候 閏
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◎『現代意訳』
また五説というのはいろいろの経が説かれているが、それは五種類にすぎないのです。一には仏説、二には仏弟子の説。三には天神や仙人の説。四には鬼神の説、五には変化の説であります。この五つのなかでは、仏説によるのであって、ほかの四種を頼むことはないのです。この『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三部経は、釈迦如来が自ら説かれたものと知らなくてはなりません。
四土というのは、一には法身の土、すなわち絶対の真理を現わした仏の国土、二には報身の土、すなわち仏の御誓いの完成の報いにより、すべての徳を具えて現われた仏の国土、三には応身の土、すなわちこの世の人びとを救うために、御誓いに応じて現われた仏の国土
、四には化土、すなわち仏が人びとを教化するために仮に現われた仏の国土をいうのです。そしで、いまこの安らかな浄土は報土であり ます。
三身というのは.一には法身、すなわち絶対の真理を現した仏、二には報身、すなわちお誓いの完成の報いによりすべての徳を具えて 現われた仏、三には応身、すなわちこの世の人びとを救うために現われた仏です。アミダ仏は報身の仏であります。
三宝というのは、一には仏宝、すなわち仏という宝、二には法宝、すなわち法(教え)という宝、三には僧宝、すなわち修行者の集りと いう宝です。そして、いまこの浄土宗は仏宝であります。
四乗というのは、一には仏乗すなわち仏の修める道、二には菩薩乗、すなわち人びとを仏にならせようとしで修める道、三には縁覚乗すなわちさとりを得るため独りで修める道。四には声聞乗、すなわち聖者の境地をめざして修める道です。そして。いまこの浄土宗は菩薩乗であります。
二教というのは.一には頓教。ずなわち段階を経ないで直ちにさとリを得ようとする教え、ニには漸教、すなわち段階を踏んで、さとり を得ようとする教えです。いまこの浄土の教えは頓教であります。
二蔵というのは、一には菩薩蔵、すなわち大乗の経典、二には声聞蔵、すなわち小乗の経典です。いまこの浄上の教えは菩薩蔵であります。
二道というのは、一には難行道、すなわち自力で行を修めて、さとりを得ようとする道、二には易行道、すなわち仏の導きを信ずることによって浄土に生まれようとする道です。いまこの浄土宗は易行道であります。
二行というのは、一には正行、すなわち浄土に生まれたいと願いアミダ仏一仏を礼拝し称名し讃嘆する正しい行。二には雑行、すなわち浄土に生まれたいと願いながらアミダ仏以外のもろもろの仏を礼拝したりする行です。いまこの浄土宗は正行を本旨としでいるのであります。
二超というのは一には竪超すなわち自力で行を修めてさとりを得ようとする道、二には横超すなわち本願力によって迷いの世界を横ざまに超える道です。いまこの浄土宗は横超であリます。竪超は自力の道です。
二縁というのは一には無縁、すなわち仏に救われる機縁のない者、二には有縁、すなわち仏に救われる機縁のある者です。いまこの浄土は有縁の教えであります。
二住というのは、一には止住、すなわち仏法がこの世にとどまること、二には不住、すなわち仏法がこの世にとどまらないことです。 いまこの浄土教は、仏の法が滅し終ったのちでも百年間、この世にとどまって人びとのためになるのであります。不住は自力のもろもろの善です。もろもろの善はこの世にとどまらず、みな竜神の宮殿へかくれてしまったのです。
思と不思というのは。思は思いをはかり。もろもろの善を積もうとする自力の八万四千の法であり、不思は、おしはかることのできない深い浄土の教えであります。
これらのことを、このように記しておきましたが、なお、よく知った人にたずねられるがよろしいでしょう。また、くわしいことをこの手紙では申すこともできません。目もよくみえません。何事もみな忘れてしまいました。そのうえ、もともと人に説明する身ではないのです。よくよく浄土の学者にたずねるなりしてください。あなかしこ。あなかしこ。
閏三月二日 親鸞
【HP作成者感想】
この書簡も、いきなり“五説というは”という文章から始まり、書簡全体にわたって、仏教用語の解説が続きますので、一見、単調で、しかも、現代の普通の生活では耳慣れない仏教用語の羅列が煩わしくさえ思われます。、しかし、親鸞聖人が、一つ一つ精魂込めて説明されているくだりを、よく噛みしめて味あわせていただきますと、まことに興味のつきない味わいが湧き出てくるのを覚えました。
まず五説です。ここで法然浄土教の本とするのは、いうまでもなく仏説であることを聖人は強調されます。仏説以外の四種類の説は、上記劈頭の語註表を参照していただくとして、法然浄土教が本とするのは仏説以外にはないとするのは、いうまでもなく、法然浄土教は浄土三部経を所依の経典としているからです。すなわち、これら三つの経には、「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」と、すべて経の頭に“仏説”がついているのです。すなわち“仏”とは釈尊です。聖人は浄土三部経は全て釈尊の直説であることを堅く信じ、それでこそ、「この三部経は釈迦如来の自説にてましますとしるべしとなり」と言われているのです。19世紀の西洋にはじまる仏教の科学的、実証的研究によれば、浄土三部経は大乗経典であって、釈尊入滅後500年からそれ以上の年月の後に、いずれも作成成立した経典であることがわかっています。しかし、そのようなことは、全く問題にならないと私は思います。浄土三部経は仏説なのです。なぜなら、たとえこの三部経が釈尊入滅後数百年後に成立した経であっても人間とは何かを説いている経であり、釈尊ご自身も、いうまでもなく、人間とは何かということを問題としておられたからです。随って、現代の私にとっても、浄土三部経は“仏説”として、まったく違和感がないからです。その意味で、釈尊はやはり仏であり、時代を超えておられる真実の存在だと私は思います。
次に四土です。この内、聖人は浄土宗(親鸞聖人は法然上人が確立された浄土教の教えを浄土宗と受取っておられ、自らも、この法然の浄土宗の一人の仏徒であるとしておられます。)が眼目とする安楽浄土は報土であると説かれます。すなわち、法蔵菩薩がこの世に生きる衆生の全てを救おうとして建てられた誓願が成就した報いとして、色も形もない如の世界(根源的世界)である法身の土から現れたのが安楽浄土であり、浄土宗はこの安楽浄土に仏と成って往生することを本旨としているからです。
そして、三身です。浄土の教えは何よりも弥陀一仏に帰依することであります。そして法蔵菩薩の五劫にわたるご修行による誓願成就の報いによって如の世界から顕現されたのが阿弥陀如来でありますから、まさに弥陀如来は報身の如来であります。
次に三宝です。聖徳太子が十七条憲法で「篤く三宝を敬え」とされているのは有名です。聖人は、この仏宝、法宝、僧宝の内、浄土宗は第一番の仏宝を旨とするのだと説かれます。
すなわち「いまこの浄土宗は仏宝なり。」とは、どういうことなのでしょうか。ところで、仏宝の次にあるのが法宝です、この場合の“法”の意味は“教え”を指します。つまり“法宝”は“仏の教えの宝”ということになります。浄土宗は仏の教えを旨(宗)とするといっても、いえないことはなさそうですが、親鸞聖人が受取られたのは、法宝よりも仏宝、すなわち仏の教えを旨とするというよりも、仏そのものを旨(宗)とするという、まことに単刀直入な受け取り方です。これはまさにそのとおりではないでしょうか。すなわち、浄土宗は衆生を仏にすることを宗(旨)とするのだと親鸞聖人はここでいっておられるのだと私は受取りました。
次は四乗です。聖人はこの四つの“乗り物”(或は“道”)の中で、「いまこの浄土宗は菩薩乗なり」と二番目の菩薩乗を宗とされます。何故二番目の菩薩乗なのでしょうか。聖人はここで、単に仏になる道ではなく、多くの人々とともに仏になろうとする道、すなわち菩薩乗を法然浄土宗の道として挙げられているのだと私は受取りました。ちなみに大乗仏教では共に仏に成る道という意味から、仏乗と菩薩乗は同じとする見方もあるとのことです。
次は二教、すなわち頓教、漸教。聖人は間髪を入れず、「いまこの教は頓教なり。」といわれます。頓教、すなわち「時をへだてず、すぐさまさとりの世界に入る教え」です。それに対して
修業を積んで、段階を一つひとつ登って、悟りの世界に至る道、これを漸教とするならば、頓教はなんと魔法のようにすばらしい教えではありませんか。しかし、けっして魔法ではありません。そして、落としてはならないのは、この「時をへだてず、すぐさまさとりの世界へ」というのは、自分の力で、そうなるのではありません。自分の修業の功でそうなるのでは決してありません。これこそ、他力です。弥陀の誓願成就の結果の力といってもいいでしょう、弥陀仏の大いなる慈悲のちからによって、時を隔てず、さとりの世界へ入るのです。頓教は、そのような道があることを指し示す教えです。どのようにすれば、そのような世界に入れるのでしょうか。そうです、ただ、至心信楽 欲生我国 乃至十念と弥陀の四十八願の内の第十八願は指し示しています。すなわち「欲生我国、すなわち浄土へ往生したいと願い、心から弥陀の誓いを信じ(至心信楽)、そして十回ほども念仏すれば」ということですが、そんなに簡単にと思われ、言われる方もあるかと思います。なるほど、これほど至難のわざはありません。まず、自分がいかに逆立ちして努力しても第十八願の成就は不可能です。この第十八願の成就は弥陀の力のみが、成就することができるのだと私は思います。自分には難中之難無過斯(難中の難、これに過ぎたるは無し)、すなわち、出来ないのです。では、絶望しかないのか・・・。そうです。絶望なんです。考えてみれば、弥陀の力がなければ自分には何もできないのです。極端なことを言えば、机の上の鉛筆一本を動かすこともできなのです。すべて他力の世界なのだと私は思います。自分は無なのです。その世界にあって、はじめて頓教は生きてくるのだと私は思います。あとは皆様のご判断の世界です。
次は二蔵です。蔵は経典の集積のことをいうそうです。菩薩蔵と声聞蔵。聖人は当然、菩薩蔵をとられます。大乗経典の浄土三部経を所依の経典とされる聖人にあっては、当然のことです。共に仏に、更には、“自未得道先度他”すなわち“自らの往生はまず置いて、他の往生浄土を先に”という大乗仏教の真髄からすれば当然のことです。
次に二道。難行道と易行道。「いまこの浄土宗は易行道なり」と聖人はいわれます。当然です。しかし、どうでしょう?、易行道といいますが、これほど往き易そうで、往く人のない道はないという思いが沸き上がってきます(難中至難無過斯)。そうです、これをみな自分の力で成就しようと思うから、易行道であって、至難の道なのだと思います。易行道とは、仏にあって、はじめていえる往生浄土の道なのではないでしょうか。他力なのです。
二行、「いまこの浄土宗は正行を本とするなり。」、当然です。「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに、別の仔細なきなり」ということばが浮かんできます。称名念仏こそ正行中の正行なのですから。
二超です。一つには竪超、二つには横超なり。いまこの浄土宗は横超なり。と親鸞聖人は述べられます。横超、横ざまに超える、何を超えるのか、生死の境涯を超える。竪超の竪は
縦横の縦を意味します。階段を上るように一段一段、力を込めて登る、そして超える。それに対して、横ざまに瞬時にして超える、「臨終一念の夕べ 大般涅槃を超証す」、法然・親鸞の浄土教が横超の教えであることが味わえます。全てが他力の世界です。
有縁、無縁。親鸞聖人は「いまこの浄土は有縁の教なり」と云われます。なぜ浄土の教えは有縁の教なのか、また、それでは一体無縁の教とはどういうことなのか。分かり易いようで、それらの意味は難解であります。有縁について思い起こされる聖人の言葉は、歎異抄第五条の親鸞聖人のことば「さとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなり」です。有縁とはいったいどの範囲をいうのでしょうか。これについては玄侑宗久師がネット上ですばらしいメッセージを提供してくださっています。すなわち自分の親、その親の親、さらに親の親の親をずーとたどっていくと膨大な数になり、その数は、たどっていった時代の地球全体の人口、いや現代の地球上の人口をも、はるかに超えてしまう。何故このようなことになるのかといえば、それぞれの膨大な数の先祖の中には、今生きている、それぞれの個人の親の親の親・・・・・・・がどこかで無数に重複しているからだ、そう考えれば生きとし生けるものは皆有縁の間柄なのだと、すなわち有縁とは全人類、いや生きとし生けるもの全てを指すのではないでしょうか。随って、大乗の精神でいえば、これこそ、ともに往生浄土を願い、その道を共に歩むことにあたるといえます。大乗の真髄を生きられた親鸞聖人が浄土の教えは有縁の教であるといわれるのは、まことにムべなるかなということではないでしょうか。 それでは無縁とは仏教的にどういうことか、これはやはり、一つには自分一人のさとりのみを追求して、他を顧みないという、いわば縁覚の道、聖道自力の道、大乗の精神を忘れた仏道を聖人は指しておられるのではないか、そして二つには、上の、生きとし生けるものはすべて有縁であるということになると、無縁の者はいない、無縁の者は0であると私は思うのですが、いかがでしょうか。
止住・不住。語註表の(32)(33)には、○止住とは、とどまり安住すること。○不住とは、とどまらないこととありますが、親鸞聖人が上記原文の後ろから12行目で「いまこの浄土教は法滅百歳まで住したまひて有情を利益したまふとなり。」と大無量寿経下巻の文を引用していっておられるように、やがて将来、末法の後、仏法が滅盡しても、依然として百年の間、弥陀の本願は、この世に止まって(止住)、はたらきつづけ、人々を救済するということで、それに対して不住は聖道諸善のことで、仏教のすばらしい諸善は、末法や法滅の時代には竜宮にかくれてしまって(不住)、まったく人々を救う力は失われているということでしょう。百歳(百年)残るとはいささかみみっちい年数のように思われますが、百という字は満数といって、満ちたりた数、すなわち完全な数という意味で、これは永遠を表すとも言え、弥陀の本願はこの世がある限り、永遠にわたって、衆生を救い続けるということにもなります。
思・不思。思議の法は聖道八万四千の諸善、すなわち聖道自力の教え、不思といふは浄土の教え、不可思議の経法なり。聖人はこのように説かれますが、この前半は聖道門の有限性を指摘しておられるようで、なんとなくわかるような気もいたしますが、後半の“浄土の教えは不可思議の教法なり”はどのように受取ればいいのでしょうか。難しいですね。いろいろ考えていると、前半の聖道諸善についての受取りまであやしくなります。でも、これはやはり、或る程度とっつきやすい聖道諸善が“思・不思”の内の“思”の世界であるということから考えを進めていくとどうなるでしょうか。“思”の世界、これは、どこまでも理論を積み上げていく世界です。いかようであればさとりの世界に至ることができるか、人間存在を如何様に理詰めで“思惟”し“修業”すれば結論のさとりに到達するかということでしょうか。親鸞聖人は、これは絶対に不可能であると思われたのではないでしょうか。このことは人間の通常の思惟を超えている。人間存在の意味は所詮、人間の手の内には収まらない、と考えられたのではないでしょうか。それでは、どうすればよいのか、これはひとえに師の法然上人の生き方にしたがって、弥陀の絶対他力の世界に生きる、いや、生かされる、これしかないとされたのが、それこそ親鸞聖人の生きざまでななかったでしょうか。だから“不思”すなわち“不可思議”の教法によって、いのちを全うするしかないのだ。これこそ真実の生きざまなのだとひたすら生涯を全うされたのではないかと私は思います。
そして、最後の段落。「これはかやうにしるしまふしたり。よくしられんひとにたづねまふしたまふべし。・・・・・目もみえず候。なにごともみなわすれて候うへに、ひとなどにあきらかにまふすべき身にもあらず候。・・・」と切々とおこたえになっている無上のお姿に心をうたれます。やはり、親鸞聖人はすごい人であり、この上なく近しい人であり、この世を完全に生きられた人であったなと思うほかありません。
今月はこれで終わります。