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★21世紀は前世紀までの物質中心、科学技術中心の考え方が見直される世紀といわれています。 |
親鸞和讃34 正像末和讃5-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-(ふり仮名は現代風の読みに変えました。) |
(1) 如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情(うじょう)をすてずして 迴向を首(しゅ)としたまひて 大悲心をば成就(じょうじゅ)せり (2) 真実信心の稱名は 弥陀迴向(みだえこう)の法なれば 不迴向となづけてぞ 自力の稱念(しょうねん)きらはるゝ (3) 弥陀智願(みだちがん)の廣海(こうかい)に 凡夫善悪の心水(しんすい)も 帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1)
弥陀如来が因位(いんに)に本願をおこされた本意を尋ねてみると
あらゆる苦悩の衆生を捨てられないで、この衆生に功徳を施すことを
第一目的となされて、大悲心(苦を抜き楽を与える心)を成就せられた。
(2)
真実の信心に具わる称名念仏は弥陀の本願から回向される法であるから
凡夫の方からは不回向の法と名づけて、自力の称名念仏は嫌われる。
(3)
(万川(ばんせん)の水が海に入って一味の潮となるが如く)
弥陀の深広な智願に凡夫の善心も悪心も悉く帰投し回入(えにゅう)すれば
忽ち他力の大信心と転換するのである。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
(1)
・如来の作願:弥陀如来の悲願を起こし給ひしことを申すなり
・首としたまひて:かしらとしたまひて
・大悲心をば成就せり:弥陀の大慈大悲心を得給へりと知るべしとなり。
(2)
・不回向:行者の回向にあらずと知るべしとなり。往生要集に見えたり。
(3)
・凡夫善悪の心水:善悪の心を水にたとえたるなり。
・大悲心とぞ転ずなる:様々の水の海に入りて、即ちしほとなるが如く
善悪の心の水みな大悲の心になるなり。
◎名畑応順師語釈
(1)
作願:願をおこす
回向:如来が修行して得たすべての功徳を衆生に施すこと
(2)
不回向:凡夫の方から回向しないこと。もと選擇集の言葉。
(3)
善悪の心水:善心は雑修雑善の自力の心、悪心は五逆謗法等の心
大悲心:他力の信心。凡夫の信心は如来の回施する大悲心である。
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1) 浄土論の「一切苦悩の衆生を捨てずして、心に常に作願すらく、回向を首として、大悲心を成就することを得たまへるが故に」
という文による。(名畑応順著「親鸞和讃集」 補注九七 による)
(2) 『選擇集』上巻の「第四に不回向回向対といふは、正助二行を修するものは、たとい別に回向を用いざれども、自然に往生の業となる故に」やさらに上記(1)にあげた浄土論の文言にもよる。
(3)論註下巻の「往生を願ずる者は、本は則ち三三(さんさん)の品(ほん)なれども、今は一二(いちに) の殊(しゅ)なく、淄澠(しじょう)の一味なるが如し、いずくんぞ思議すべけんや」による
(注) ・三三の品:九品(くほん)のこと(九品とは;浄土往生に際して意味を有する九つの階位、三三として九とした。)
・淄澠の一味なるがごとし: 斉(せい)の国(現在の中国山東省)にあった淄水(しすい)と澠水(じょうすい)という二河の名。二河の水の味は異なるが海に入れば同じ塩からい水になるように、往生の機に九品(くぼん)別
があっても、同じ念仏の一道によって往生すれば平等一味の果を得るという意
【HP作成者感想】
先月の【HP作成者感想】で、『還相の迴向すなわち命終の往生浄土の後、再びこの世に還って衆生済度にあたるということについて、このことがどうしてもわからなかった。
しかし、先月の和讃の最初の2行「智慧の念仏うることは、法蔵願力のなせるなり」からいえることは、命終の後、成仏することができたならば、それは既にして
正真正銘の弥陀と一体になることだから、当然、そこは、この世にあって法蔵の願力がフルにはたらく世界、この我執に満ちた私が智慧の念仏に導かれる世界、
すなわち、これこそ、大慈大悲のはたらく世界、正真正銘の衆生済度、還相迴向の世界ではないだろうか。』と申し上げましたが、今月表示の三首をみても、
三首ともに、まさに『還相回向』を讃嘆した和讃ではないかと、私は思っています。
すなわち(1)では、
『苦悩の有情(うじょう)をすてずして
迴向を首(しゅ)としたまひて
大悲心をば成就(じょうじゅ)せり』
とは、まさに還相回向を讃嘆したものではないでしょうか。
また、(2)では
『真実信心の稱名は
弥陀迴向(みだえこう)の法なれば』
すなわち、衆生が「真実信心」をいただいての稱名は、ひとえに弥陀の迴向の法、すなわち弥陀の還相 迴向の法なのだから、
『不迴向となづけてぞ
自力の稱念(しょうねん)きらはるゝ』
すなわち、衆生みずからの我執で称える自力の稱名は、還相迴向によるものではないでしょうから、不迴向と 名づけられるのは当然といえるでしょう。
また、(3)では、まさに還相迴向のはたらきよって
『弥陀智願(みだちがん)の廣海(こうかい)に
凡夫善悪の心水(しんすい)も
帰入しぬればすなはちに
大悲心とぞ転ずなる』
我執に満ちた衆生が、命終の後、成仏したならば、その瞬間に、たちまち、この世にあって還相迴向の仏とし て浄土を指し示す“大悲心”をもって、衆生を引導する働きのさ中にあるのではないでしょうか。これこそ、まさ に、生死を超えた最大最高の衆生済度に他なりません。
〔今月はこれで終わります。〕
親鸞和讃35 正像末和讃6-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-(ふり仮名は現代風の読みに変えました。) |
(1) ふかく信ずるひとはみな (2) (3) 南無阿弥陀仏の迴向の 恩徳広大不思議にて 往相迴向の利益には 還相迴向に廻入せり (4) 如来の迴向なかりせば 浄土の |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1)
如来の往相・還相二種の迴向を
深く信ずる金剛心の人は、
正定聚の位に住する故に、
本願を憶う心は持続して絶えないのである。
(2)
永劫にわたる生死流転の苦を捨てて
無上涅槃を期待する身となったのは、
如来の往還二種の迴向によるものであり、
その恩徳はいかいに感謝しても感謝し尽し難い
(3)
南無阿弥陀仏の名号に
衆生の往相還相二種の迴向を成就して
一つの名号として迴向される。
その恩徳はまことに広大不思議であって
浄土へ往生する往相迴向の利益によって
はからずもこの世に還って
他の衆生を済度する還相迴向に転入するのであった。
(4)
往相迴向の大慈から還相迴向の大悲を得る。
若し如来の迴向がなかったならば、
浄土に生まれて菩提の果をうることが
どうしてできよう
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
(1)
・如来二種の迴向:弥陀如来の本願の迴向に、往相の迴向、還相の迴向と申して
二つの迴向のあるなり。
・等正覚:正定聚の位なり。
(2)
・左訓として特に無し
(3)
・左訓として特に無し
(4)
・左訓としてとくになし
◎名畑応順師語釈
(2)無始流転:二行目の無上涅槃と迷悟相対する。いつが始めともない生死流転。
(4)大慈・大悲:慈悲は楽を与え、苦を抜くこと。いま共に仏の徳であるから大という。
ここには大慈を往相に、大悲を還相に当てる。
慈悲を便宜上二つに分けて、大慈大悲というたもの。
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1) 『大無量寿経』上巻の四十八願中第十一願の文や『如来会(にょらいえ)』第十一願の文の「若し決定して、等正覚を成じ、大涅槃を証せざれば、正覚を取らず。」の意によったもの。
(2) 『大無量寿経』下巻の「汝および十方の諸天・人民(にんみん)、一切の四衆、永劫(ようごう)より已来(このかた)、五道に展転(てんでん)し、憂畏勤苦(ういごんく)せること、具(つぶさ)
に言ふべからず。」によったもの。
(3)、(4)はいずれも 『浄土論註』下巻に『浄土論』を引用して「云何(いかん)が迴向する、一切苦悩の衆生を捨てずして、心に常に作願(さがん)す、迴向を首となして、大悲心を成就することを
得たまへるが故にと。」や、さらに同じく「還相とは、彼(か)の土(ど)に生じ已(おわ)って、奢摩他毘婆舎那(しゃまたびばしゃな)方便力成就(ほうべんりきじょうじゅ)することを得、
生死の稠林(ちゅうりん)に廻入して、一切衆生を教化して、共に向へしむるなり。」によったものということができる。
(注1)彼の土に生じ已わって、奢摩他毘婆舎那方便力成就:浄土に往生し、仏の悟りを得て衆生の救済力が成就すること。
(注2)生死の稠林(ちゅうりん):この娑婆世界のこと。
【HP作成者感想】
これら四首の和讃はいずれも如来二種の迴向、すなわち往相迴向と還相迴向を親鸞聖人がことばの精緻を極めてうたわれた和讃です。したがってここでは、自らの非力をも省みず、この如来二種の迴向、
すなわち往相迴向と還相迴向について思いのたけを述べたいと思います。
難解なこの二つの迴向の内、往相迴向については、今まで、如来の迴向、正定聚・等正覚など何回かこれらの言葉を味あわせていただくことがありました。すなわち「信心よろこぶその人を 如来とひとしととき
たまふ 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」という、あの忘れることができない浄土和讃の中の一首にもあるように、如来迴向のまことをいただいた他力信心の人が往生するということを往相迴向、
すなわち如来の迴向をいただいて無事浄土往生が成就することを往相迴向と受取らせていただくことにより、ある意味で納得することができます。しかし、難解も難解、超難解なのは“還相迴向”です。
還相回向とは上記のように信心の人が弥陀の往相回向によって正定聚位を与えられ、その結果、いのち終れば浄土に往生するわけですが、浄土に往生するやいなや、すぐに還相回向の働きをするために
この世に還り、衆生利益の働きをするというのです。ここで問題点がいくつか出て来ます。まず一つは、この衆生利益の内容はどのような事柄なのかということです。これを更に(1)、(2)に分けますと
[1]この衆生利益とは世の中の物質的不幸の解消、すなわち世の中の経済的、身体的(病気とか)に不幸な人々を救済することなのか
[2]もっと高度な精神的段階で生死の問題、生きる意味の問題において衆生を救済することなのか
ということになります。まず[1]の場合は、現実の状態を見ても、すぐ分かるように、今まで、限りなく多くの人々が命を終り、その中ではやはり多くの人々が浄土に往生し、それらが皆、還相回向でこの世に
還って物質的不幸の救済に当たっているのなら、大変卑近な即物的な見方になりますが、この世の中は、もっと物質的・経済的な不幸は減っているように思います。しかしさにあらず、いまや現代は昔よりも文化は
進んではいますが、もっと大きな物質的不幸に満ち満ちているのではないでしょうか。したがって、還相迴向のはたらきをこのような慈善的働きと捉える事は到底できません。
それでは[2]の場合はいかがでしょうか。なるほど、この救済こそ衆生の根本的不幸の解消のはたらきになるでしょう。すなわち上記(3)、(4)の和讃の典拠である『浄土論註』の文言でも、
浄土往生を遂げたものが生死の稠林に還って為すことは、“一切衆生を教化して、共に向えしむる”こと、すなわち共に“浄土に向えしむること”なのですから、[2]の場合が還相の働きとして妥当であると
いうことができます。しかし、一旦いのち終って死んだ者が、どのようにしてこの世に還って、人々に[2]のような内容の救済のために働くことができるのでしょうか。
このように[1]でも[2]でも、こと還相回向という事柄を現代的に受取ろうとする場合に大きな壁にぶつかります。ここで考えられることは、もし今かりに弥陀の回向によって他力の信をいただき、
正定聚の位にある人があったとしましょう。その人は、いのち終れば確実に浄土往生を遂げるわけですが、浄土往生を遂げるとはどういうことでしょうか? 私はこれを浄土に往生して弥陀と一体となることだと
思っています。すなわち命終れば個人を超えた大いなる命、すなわち“私たちの根源のいのちのいのち”と一体になることであり、この“いのちのいのち”とは親鸞思想からいえば、とりもなおさず、
大慈大悲の阿弥陀仏のことでありますから、いのち終り、浄土往生を遂げた者はこの弥陀の働きと一体となって、還相迴向のはたらきをすると考えることができないでしょうか。すなわち、
現実世界で他力の信を得たる人は、いのち終れば、雨のように絶え間なく降り注ぐ如来の本願力迴向の只中に一体となることになりますから、これこそ、いのち終って弥陀と一体となった者の還相迴向の働きで
あるということができないでしょうか。なぜなら、弥陀の本願というのは、“すべての衆生を仏にせねばやまず”ということなのですから。、このように考えると、今までなかなか納得が難しかった歎異抄第四条の親鸞の言葉「浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、
おもふがごとく、衆生を利益するをいふべきなり」ということばが無理なくスッと胸に納まるように思うのです。すなわち、信心の人がいのち終って浄土往生をとげることができても、すぐにあくせくと
還相迴向に向わねばとこころ落ち着かずということではなく、いのち終って浄土往生が成就すれば、すでにして仏なのですから、ゆったりとした気分で、しかも素早く、この世に還って、まさに縦横無尽に、浄土への道をさししめす衆生済度ができるというものです。いかがでしょうか。これを御覧の皆様のご意見をうかがえれば大変幸甚です。
親鸞和讃36 正像末和讃7-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-(ふり仮名は現代風の読みに変えました。) |
(1) 自力の 仏恩報ずるこゝろなし (2) 如来の本願信ぜねば うががふつみのふかきゆへ (3) 仏智の不思議をうたがへば 七宝の獄にぞいりにける (4) 自力の 不思議の仏智をたのまねば |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1)
仏智の不思議を疑って
自力の念仏を好むから、
辺地懈慢の化土に留まって
仏恩を報ずる心がない
(2)
自力称名の人は
如来の本願を信じないから
その疑いの罪が深いので
七宝の牢獄(疑城胎宮)に閉じこめられる。
(3)
自力の諸善万行を以て往生を願う人は
やはり仏智の不思議を疑っているから
自業自得の自然の道理で
七宝の牢獄に囚われたのである。
(4)
自力の計らい心を本にして
不思議の仏智をたのまないから
(自分の限界を超えることができないために)
胎宮に生まれて五百歳の間、
大慈悲の現われである真実報土の三宝を
見聞することができない。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
(1)(2)(3)(4)共に、左訓はともなっていない。
◎名畑応順師語釈
(1)自力の称念:自力の称名念仏。
辺地懈慢:仏智を疑う人の生まれる仮の浄土。辺地は浄土の辺鄙の地、かたほとり
懈慢は信心堅固でない懈怠の人の留まる境界
(2)特に無し
(3)自業自得:自ら業を造って自ら報を得る。
(4)特に無し
【HP作成者感想】
今月から正像末和讃の内、「疑惑罪過和讃」に入りました。
全部で二十三首を数えるこれらの和讃では、ほとんどが仏智不思議を疑う過咎がいかに真実の浄土への往生を妨げ
その結果、疑惑のままで、いかに懸命に努力しても辺地懈慢に留まる結果となることを、それこそ、これでもかこれでもかといわんばかりに
何回も同じ内容の和讃が続きます。そしてその中には仏智疑惑と共に疑惑と同じ意味を持つ自力諸善と自力称名の過咎が
同じく、辺地懈慢に留まる結果となることが強調されています。
今月は、これら「疑惑罪過和讃」を親鸞聖人がかくも繰り返し繰り返し造られている何故かということと、その中で、繰り返し述べられている仏智疑惑と自力諸善、自力称名の過咎の意味合いについて
考えてみたいと思います。
この和讃は名畑応順師によれば後にでてくる「愚禿悲歎述懐和讃」とともに親鸞聖人86歳の作とのことです。 親鸞聖人においてこの時期はどのような意味をもっているのでしょうか。
すなわち、つい二年前には親鸞聖人の身の上において実子善鸞の義絶という事実が重く禍根を残しています。またそのような危機をまねく原因となった関東の同行たちの造悪無礙や賢善精進などの
異義・異解があります。もちろん親鸞聖人はこのような危機にもかかわらず、善鸞事件の後も「往相迴向還相迴向文類(如来二種回向文)」「一念多念文意」の著述、「西方指南抄」、「唯信鈔文意」
の書写など驚くべき活発な自信教人信の活動に明け暮れています。しかし、これとても最晩年の心を傷めた上記「善鸞事件」や関東の同行の間に起った「異義・異解」、それら、のしかかってくる
重圧に対して、真実の浄土教はどうあるべきかという親鸞聖人渾身の対処であったに違いありません。このような中で86歳の親鸞聖人はやむにやまれぬ気持ちをもって造られたのがこの
「疑惑罪過和讃」であったに違いありません。そうであって、はじめて、これらくどいほどの疑惑罪過の咎への言及を現代の私たちは納得できるのではないでしょうか。そうして、
この「仏智不思議を疑う過咎」への言及は、まさに現代の私たちにも親鸞聖人から鋭く突きつけられている問題ではないでしょうか。 なぜ“仏智不思議を疑惑すること”が過咎なのでしょうか、
また、なぜ“自力諸善”や“自力称名”が過咎なのでしょうか。実証主義の現代ではある意味で“仏智疑惑”や“自力の行い”はむしろ推奨される事柄であると受取る考えが有力です。いわく”実証できない仏智などという事柄”は、それこそ人びとを迷わすものだ、いわく、親鸞思想では”自力”ということが真実の浄土往生の妨げになるというが、
現実に対処するに“自力更生”という貴重な言葉もある等々、むしろ否定するのをよしとする風潮があるのではないでしょうか。確かに自力という事柄は現実問題の殆どを解決するのに
無くてはならない事柄ともいえます。しかし、そのような実証主義第一を主張する人生観が対処することができない事柄があります。すなわち“死の問題”です。すべての人びとが必ず出会わなければ
ならない死の問題への対処が、この“自力”にあるのでしょうか。親鸞思想あるいは仏教思想はそのことを問題としているのではないでしょうか。現実至上主義、実証至上主義から“自力”という
事柄、“仏智疑惑”という事柄を見た場合、自力も仏智疑惑もいずれも自分自身は確固とした存在、この世も確固不動のものという信念に貫かれています。しかし確固不動の自分、
確固不動の現実というものははたしてあるのでしょうか。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
」という方丈記のことばを待つまでもなく、無常迅速のこの世、生まれては死に、生まれては死にする人びとのいのち、そしてその生死どちらの意味するところも定かではない真の現実に出会ったとき、
上記のような浅い現実至上主義に大きな疑問が生まれます。親鸞思想はこのような自分の存在を確固たるものであるという”自力”の考えをするどく衝いて、これをひるがえし、人間存在を”空”であると
みる仏教の立場にたって、生かされて生きる自分、現実の個人を超えた、いうならば我々小さな個人をその中において生かしめ、死なしめする大いなる根源的ないのちのはたらきの中で生きている自分の発見にあるのではないでしょか。“今、いのちがあなた
を生きている”という大いなるいのちの発見です。すなわち”他力”の発見です。そしてこの“他力”のはたらきをこそ”仏智不思議”というのではないでしょうか。そしてこの“他力”こそ、
生まれてきたのも”自力”で生まれてきたのではないし、死もまた自らの自力でたどり着くものではないということ、それどころか一刻一刻と老いて行く自分も自力で老いて行くのではないという
真の現実を私たちに指し示しているのではないでしょうか。
ここにおいてこそ大いなるいのちのはたらきでこの世に生まれ、大いなるいのちによって一念一念を生かされ、そしてそれによって、この自身の個人のいのちが終れば、
ふたたび真実の根源的大いなるいのちにいだきとられて往生浄土がかなうということではないでしょうか。清沢満之がいう「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり。我らは生死を並有するものなり。」という我らとは、
清沢個人のいのちではなく、この大いなる根源的いのちをさしているのではないでしょうか。
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〔
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◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
本願を念じて常に稱名する他力信心の行者に劣らないようにと、
自力疑心の行者も、
これを救うために方便の願まで設けられた如来大悲の恩を知って、
稱名念仏を励めよ。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
この和讃に左訓はない。
◎名畑応順師語釈
・信心のひと:他力信心のひと、憶念の心が持続する念々稱名のひと
・如来大悲:第十八願のほかに、第十九・二十の願を以て方便する如来の恩
【HP作成者感想】
この和讃は その前後の和讃の語調と少し異なった味わいをもつ和讃です。すなわち軽く読めば“信心のひとに劣らないように、疑心自力の行者も稱名念仏に励みなさい。そのように自力の稱名に励んでいるうちに如来大悲の御恩である「果遂の誓い」によって自然と真実信心の人になっていくだろう”というふうに読めないこともありません。しかしはたしてそうでしょうか。名畑応順師はこの和讃について岩波文庫『親鸞和讃』の補注102で次のように述べておられます。『この一首は疑惑和讃の中では特殊な意趣を示すものであり、古人がその解釈に苦しんでいる。一説には自力の行者に対し、自力の念仏を勧めることによって、却って自力を離れて他力に帰せしめる教誨と見る。即ち第二十願の果遂の誓によって、自力ながらも称名念仏していれば、自然に第十八願の他力に転入するからと考えたのである。しかし親鸞がここに自力の念仏を勧励すると考えるのは穏当ではあるまい。信心の人が深く如来大悲の恩を知るのに反して、自力の行者は大悲の恩を知らないのが悲哀であることは
親鸞の常に力説するところである。随って自力念仏の行者も、他力信心の人と同様に、如来大悲の深い恩徳を信知して、如実に念仏せよと勧め、第十八の本願に帰せしめようとする意と解すべきであろう。草稿本ではこの一首がこれら一連の疑惑和讃二十三首の最後に出ているということとも併せ考うべきである。』と結んでいます。とするならば、“自力ながらも稱名念仏していれば自ずと他力信心の人になっている”と解釈することに疑問があると私は考えます。そこでこの和讃についての
もう一つの解釈ですが、“信心のひとに劣らないように”というのは“何が劣らないように”なのかを考えるべきではないでしょうか。すなわち称名念仏を信心の人に劣らないように唱えると解釈するのではなく、信心の人に劣らないようにするのは、ひとつ前の“如来大悲の恩を知る”ことなのではないでしょうか。すなわち、“信心のひとにおとらないように如来大悲の恩を知り、その上で他力迴向の稱名念仏に励むべし”と読むべきであると私は考えます。如来大悲の恩を信知することこそ、如来大悲の迴向すなわち“他力”の真実を信知することであり、これこそ現実に私たちの身が直接体感し感応する事柄ではないでしょうか。このように読んではじめて、草稿本が、この和讃を疑惑罪過和讃の最後の一首に位置させている意味もくみ取れるのではないでしょうか。
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◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
仏智を疑うから
化土に胎生する者は
決断の智慧もない。
そういう人が必然的に
胎宮に生まれるのを
牢獄に入ると
喩えられた
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
この和讃に左訓はない。
◎名畑応順師語釈
・胎生: 化生に対することば。
化土に生まれて或は華に包まれ、
或は宮殿に処して、三宝を見聞する自由を得ないことを、
人の胎内に籠るに喩えていう
【HP作成者感想】
「仏智を疑う故に化土に胎生する者はまことの智慧に欠ける者だ。このような者は結局胎宮に生まれることとなる。
これはまさに仏の智慧にあずからぬまま牢獄にいるようなものだ」とこの和讃は述べています。このことは仏の智慧にあずからぬまま、当てもない状態で生涯を終えなければなら
ないというふうにも考えられ、端的に言ってこれは恐ろしいことです。まさに地獄にもたとえられることではないでしょうか。
一見いかに幸せで平穏な日々を送っているような人でも、仏智を疑うことから解き放たれない限り、ある意味で生涯の終わりには地獄が待っているといってもいいのでは
ないでしょうか。
それでは、この“仏智”ということを私たちはどのように受け取らせてもらえばよいのでしょうか。元大谷大学の学長であった小川一乗師は大谷大学の最終講義を記録したその著
「親鸞と大乗仏教」において次のように述べておられます。「大乗仏教における智慧というのは、一切の存在は縁起であるがゆえに、それ自身としての存在性を持たない。
“縁起であるがゆえに、すべてのものは空である”、そういうことを見通すはたらきのことを“智慧”という。それ以外に、大乗仏教における“智慧”はないのです」。
このことは仏教の始祖である釈尊の考えにも通うずるものだと私は考えます。しかしこの“すべてのものは空である”ということは体感としてそう簡単に納得できるものでは
ありません。なぜなら、ここにこうして事実として私はいる、このような思いから離れて自らを空であると自身に思い込ませることは、まったく困難この上なきことでもあります。
しかし、その一方で、自分自身のことを考えてもわかりますが、この私は、すべてわがはからいで生まれてきたのでもないし、刻々と成長してきたけれども、また同時に刻々と
老いて行く、これも全く自分のはからいで成長するのでも老いていくのでもない。またやがて迎えなければならない死についても、名残惜しく思っても娑婆の縁が尽きれば
ちからなくして終わるのだと親鸞聖人も述べておられるとおりまったく自らの意図を超えた厳然たる事実です。すなわちこのことは信じまいとしても信じざるを得ない事実
ということです。確固たる存在だと思っている自らが、大切なところで思い通りにならないのが私たちです。このことを明治の宗教者清沢満之はその論文「絶対他力の大道」の中で
“自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托し、任運に法爾にこの現前の境遇に落在せるものすなわちこれなり”という言葉で表しました。また“我等は絶対的に他力の掌中に在る
ものなり”とも表現しました。すなわち、私たちは、自分では確固とした存在のように思いがちですが、事実としてすべてを与えられて生きている存在であることは、信じまいと
しても信じざるを得ない事実であるということになります。
一方、小川一乗師が「親鸞と大乗仏教」において言われているように「一切の存在は縁起であるがゆえに、それ自身としての存在性を持たない。“縁起であるがゆえに、
すべてのものは空である”」ということがらを何とか自力の修行を積むことによって自らにおいて納得する知恵を得ようとするのが聖道門の仏教ということになります。
しかし、親鸞浄土教においては、親鸞の労作である浄土和讃において、「智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かふらぬものはなし 真実明に帰命せよ」
と述べているように、この“智慧”は仏の智慧であって、決して煩悩熾盛の人間がわがものにできるものではないと述べています。すなわち信じまいとしても信じざるを
得ない絶対他力の掌中にあることを、これも他力迴向として体験的に信知した中で、仏の智慧がはたらく世界に生きる。このような智慧こそ仏智といわれるものではないでしょうか。
そしてこのような仏智に乗托してはじめて真実の大いなる仏のいのちの中で生きる自分を発見するのであり、さらに、そこにおいて私たちは初めて人間の永遠の課題である生死に
納得することになるのではないでしょうか。
| 〔 (1) (2) すゝめいれしめたまひてぞ (3) |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1) 仏智不思議の弥陀の誓願を 聖徳太子のお恵みによって 知らせていただいたおかげで、 万人共に正定聚不退の位に帰入して 次生に成仏すべき一生補処の
弥勒のごとくである。
(2) 聖徳太子が衆生を哀愍して、 仏智不思議の弥陀の誓願に勧め入れさせ給うて、 正定聚の位に住する身となった。
(3) (聖徳太子の教化によって) 他力の信心をうる人は、 仏恩を報謝するために、 如来大悲の往相還相二種の迴向を 十方にひとしく弘めよ。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
・これらの和讃に特に左訓はない。
◎名畑応順師語釈
これら三つの和讃には特に名畑師の語釈はない。
【HP作成者感想】
今回は「皇太子聖徳皇奉讃」の和讃から三首を選びました。
親鸞聖人は聖徳太子をこの上なく尊崇されていますが、それにはどのようなわけがあるのでしょうか。 平安時代から鎌倉時代にかけ聖徳太子に対する信仰がひろく社会に広まり、親鸞聖人もその流れの中にあって、
太子をこよなく尊崇されていたということ、あるいはまた、親鸞聖人は承元の法難のあと 還俗を強いられ、 生涯、非僧非俗を貫き、法然浄土教の弘められたことと聖徳太子が僧侶ではなく、俗人として
仏教興隆に 尽くされたことなどが考えられますが、やはりなんといっても、親鸞聖人の妻、恵信尼公が 娘の覚信尼に あてた手紙(すなわち『恵信尼文書』)の中で述べておられるように、聖人が自らの“生死出づべき道”を
求めて法然上人の膝下で生涯にわたる教えを受ける決断を下されたのは、なんといっても比叡の山をおりて、 洛中の六角堂で百日間の参籠を志された時に95日目の暁に聖徳太子のご示現にあずかったことにあり
このことによって親鸞聖人は法然上人の教えに全人的に出遇うことができ、その人生を決定づけ、現代にも生きる “生死出づべき道”を創造する 唯一の契機になったことにあるからに違いありません。
(1)と(2)は、このことを如実に顕わしています。 “仏智不思議の誓願”直接には弥陀の本願、すなわち不可思議なる本願他力の教えを聖徳太子のお恵みによって
知らせていただいたおかげで、と親鸞聖人はいわれています。直接には法然上人に全人的に遇いがたくして遇うことに よるわけですが、もとをたどれば、この日の本の国に初めて仏の教えを弘められた聖徳太子に縁(よ)っているということでしょう。
この和讃には聖徳太子なければ、法然上人なく、法然上人なければ、この正定聚等正覚に帰入させていただいて、 補処の弥勒にもたとえられるような身にさせていただいた自分(親鸞)はなかったであろうとの思いが如実に籠められています。
しかも、六角堂で自らの生涯をきめる決断を太子の示現によって成就していただいたのですからなおさらのことでしょう。
そして(3)においては、今の世、後の世、いつの世においても、このような仏智不思議の迴向によって 他力の信を頂くことができた人は、その御恩に報いるためにも如来二種の迴向を十方にひとしくひろめるようにすることが
大切だと親鸞聖人は力を込めて述べておられます。それではこの如来二種の迴向、すなわち往相迴向、還相迴向の仏のはたらきを 少しでも多くの人々にひろめるとはどのようなことなのでしょうか。浄土往生を成就する往相迴向の恩徳は人々にかぎりない喜びを与える
事実として実感的にわかります。しかし、浄土往生が成就すれば、すみやかにこの世に還って、人々を救済するという 還相迴向が、どうして、それを勧められた人々の救済の事実になるのでしょうか。このことが、なかなか凡眼をもってしてはわかりません。
また、具体的にどのようにして人々に対し勧めればよいのでしょうか。私が考えますには、この往相迴向・還相迴向の二つの ことがらは、如来の迴向なのですから、いずれも、私たち自身のはたらきではなく、如来のはたらきであるということです。
随って、私たちが具体的にできることは、如来の限りなき恩徳を人々に伝え、そして讃え、弘めるということではないでしょうか。 また、往相迴向とともに還相迴向をも人々にすすめるという意味は、往相迴向によって、正定聚の身となった
者は、自分だけが喜んでも真実の喜びとはならないということです、すなわち、この喜びをあまねく人々に伝えて共によろこぶ身となって こそ真実の喜びとなり往相迴向の成就になるということではないでしょうか。そこに往相迴向とともに還相迴向を、すなわち如来二種の迴向を
十方にひとしくひろむべしといわれている親鸞聖人の真意があるのではないかと私は思います。
| 〔 (1) (2) (3) こゝろは |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1) 浄土真宗に帰入するけれど、外面は真実らしく見せて、内心はうそいつわりのわが身であって、自分には真実の心はなく、清浄の心もさらにない。
(2) 誰しも外面の姿は愚悪怠惰を隠して賢善らしく精進らしく見せているが、内心には貪欲瞋恚(とんよくしんに)と、それに本づく邪偽(じゃぎ)が多く、人を誑(たぶら)かすような心が数多く身に満ちている。
(3)好んで悪を造る悪性はとても止め難く、貪瞋煩悩の心は毒蛇毒虫のごとくである。たとい善行を修めても煩悩の毒が雑じるから、虚仮の行と名づけ 真実jの行とはいわれない。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
・(3)の蛇蝎の内の蛇:へび、くちはみ、くちなは。(注)「くちなは」はへび、 「くちはみ」はまむし
◎名畑応順師語釈
○浄土真宗:本願を信じて真実の浄土に生まれるという教え(宗派としての浄土真宗の意味ではない。<( )内はHP作成者の記>)
○外儀:外面に現われた姿 ○賢善精進:賢こぶり、善人ぶり、精勤なように見せかける
○姧詐:姧は姦、よこしま。詐はいつわり、人を誑かすこと。「ももはし」は百端=多数
○蛇蝎:へびとさそり
【HP作成者感想】
今月は正像末和讃「愚禿悲歎述懐」から三首を選ばせていただきました。
まず第1首目、すなわち上掲(1)の和讃です。まずここで云われている“浄土真宗”はいうまでもなく、釈尊から七高僧を経て、直接には法然聖人から受継いだ真実の浄土教たる念仏往生の教えであって、勿論、後の宗派としての浄土真宗をさしているわけではありません。この法然から受け継いだ、何ものにも替えた難い“念仏往生”の教えに帰しながら、真実の心は有り難く、虚仮不実の自分の有り様も、真実の念仏者の清浄なる心も、全くない自分。真実の“心”は真実の“信”と受けとってもいいのではないでしょうか。この和讃をここまで読んでみて、これが最晩年の親鸞聖人の心なのだろうかと思います。ごく常識的にこれらの文言を受け取れば、徹頭徹尾、信の人であり、人にもその信を伝えてきた人が、この有り様とはとても受け取れません。したがって、親鸞聖人は徹頭徹尾たる信の中で、自らの心の内、或いは日常生活においてもそうなのかも知れませんが、自己のこの世での有り様の一面を振り返って、このような絶望のさ中に身を置いていたとしか言いようがありません。更に(2)の和讃では矛先を世間の人びとにも向けています。なぜなら“外儀のすがたはひとごとに”の“ひとごとに”とはその人、その人ごとにという意味でしょうから、世間のその人、その人、すなわち誰しもが外面は賢善精進に努めているように見せながら、その内実は貪瞋邪偽多く、邪悪な心や、いつわりの心に満ち溢れているということでしょうか。真っ先に自身は勿論、世間の誰人もこのような絶望的ともいえる状態にあるというのです。そして(3)です。“悪性さらにやめがたし”、名畑師の現代意訳には“好んで悪を造る悪性はとても止め難く”となっています。しかしこのような抽象的な悪ではおさまらない、そのような悪性がさらにやめがたく、心の中は蛇や蠍(さそり)がうごめいている如くだというのです。一体どのような悪性をいうのでしょうか、想像もつきません。これこそ、自己をまず筆頭として、世間一般の人びとのありようについて、まったく絶望の極致にある状態の描写といわざるを得ません。まさに末法のど真ん中の有り様です。ここには、あの歎異抄の第一条にでてくる“悪をもおそるべからず”という、真摯な自信に満ちた宗教的あり方を示す親鸞聖人とは、正反対の、深刻な自己の内面への吟味と、自己本位の修善などはとても虚仮の行としかいえない、深刻な絶望のみがつづられています。私たちは、この事柄を、どう受け取ればいいのでしょうか。この事柄に対する私たちの受け取りは、来月につづけなければならないと思います。
| 〔 (1) まことのこゝろはなけれども (2) (3) |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1) 恥知らずのわが身であり、真実の心のない、あさましい凡夫であるけれども、如来の真実心から回向される名号であるから、その功徳はわが身に満つるばかりでなく、自ら十方に満ちわたり給う。
(2) 小さい慈悲さえももちあわせないこの身で、自力を以て衆生を利益しようなどとは思うまい。如来大悲の願船が在(い)まさないならば、生死の苦海をどうして自他共に渡ることができよう。
(3)好んで悪を造る悪性はとても止め難く、貪瞋煩悩の心は毒蛇毒虫のごとくである。たとい善行を修めても煩悩の毒が雑じるから、虚仮の行と名づけ 真実jの行とはいわれない。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
(1)~(3)ともに、これら和讃に左訓はありません。
◎名畑応順師語釈
(1)無慚無愧:人に羞(はじ)じる心もなく、天に羞(はじ)じるこころもない。
(2)小慈小悲:大慈大悲の対。衆生に対して差別の心を以て済度する慈悲
(3) とくに語釈はありません(上記現代意訳に含まれています。)
【HP作成者感想】
先月掲載の最初の三首の和讃は、自分自身が浄土真宗の真実の心から離れた虚仮不実の身であり、外面は賢善精進の姿をしているが、内面は蛇蝎のごとき醜悪な雑毒の心をもっているがゆえに、およそ自力修善の行いをしても、結局は虚仮の行となってしまうことを、ひたすら嘆いています。しかし、次の三首である今回の和讃は、いずれも前半は無慚無愧で小慈小悲も無く、醜悪な蛇蝎姧詐の自分であるけれども、如来の願船である迴向の光が照らし続けているがゆえに、その光がないならば、苦海の中で、無慚無愧のまま、果ててしまうところが、この醜悪な自分を照らす光によって、その功徳はあふれるばかりに十方に満ちわたっているという、よろこびの歌になっています。すなわち、たゞたゞ自己の心が弥陀のこころから遠く離れている事実を嘆くとともに、その醜悪な自己を照らす弥陀の光を、ひたすらに讃嘆されている親鸞聖人がここにおられます。他人はもとより、自己自身さえ救済することができない自分ではあるけれども、そうであればこそ弥陀の迴向による救いがたのまれるのである。なぜならば弥陀は私たちの生死の根源であるからだといわれる親鸞聖人の声が聴こえてくる気がします。そして、ここには、晩年の親鸞聖人を苦しめた傲慢な造悪無礙の姿の片鱗すらない親鸞聖人の真実のお心がうかがえるのではないでしょうか。
| 〔 (1) かなしきかなや (2) このよの (3) かなしきかなやこのごろの |
◎『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
悲しいことには出家も在家も日時の善悪吉凶を選び、天地の神祇を崇拝して禍を避け福を求め、卜筮や祭祀を専らとしている。
◎『左訓』
左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする
(1) ・卜占祭祀:うらない まつりはらひ
(2)と(3)には左訓はありません。
◎名畑応順師語釈
(1)
・良時吉日・・・以下の三行は仏の正道にはない。
・天神:梵王・帝釈・四天応 など。
・地祇:堅牢地祇、龍王等
(2)・外道:仏教以外の異教
(3)・特に語釈はありません。
【HP作成者感想】
日本社会で現代においても、(1)の和讃と同じように、結婚式などは「大安」をえらび、葬儀などでは「友引」を避けるなどが行なわれているところもあるようです。また、やたらと家の入り口に厄除けとして、お札を貼りまくったり、更には、自家用車に厄除けのお札を貼ったりする風習もあるようです。そしてあたるも八卦、あたらぬも八卦といいながら、星占いや、易者に吉凶をうらなってもらったり、あるいは、神社仏閣の一部でも、そのようなお札を発行したり、吉や凶を占うおみくじを販売したりしているところもあります。聞いた話では警察のパトカーに、交通安全を祈るためでしょうか、どこかの神社かお寺のお札がはってあったりする例もあったようです。私はこのような事柄を無意味で有害な事柄、ひとを惑わす、科学的根拠のないこととして、いわゆる“非科学的”な迷信であるととらえてきました。現代の多くの人々も、主として科学的観点から、これらのことがらを遠ざけ、嫌っているケースがあるのも現状だと思います。
しかしあらためて、親鸞聖人のこの和讃をいただいてみますと、親鸞聖人はこれらの行為を斥ける理由として、“真実の仏法”からはずれているということを指摘されていることがわかります。法然聖人や親鸞聖人はある意味で非常に合理精神の豊かな人であったと思い、自然科学的な非合理な事柄も許されない厳しい面があったと思いますが、これら(1)(2)(3)の和讃をいただいて、あらためて、聖人が、これらの事柄を真実の仏教からはずれているという厳しい眼を以て嘆いておられることが分かります。考えてみれば、この「愚禿悲歎述懐和讃」を味わうとき、親鸞聖人自身の厳しい内省のみに、つい目が向きがちです(もちろん、これも「述懐和讃」の大きな要素ですが)この和讃全体として、(1)の和讃で“かなしきかなや”という言葉で表現されているように、当時の社会の仏教徒をもって任じる人びとの中に、真実の仏教からはずれた思想や行動が見られるのを嘆いておられる様子が、ひしひしと伝わってきます。親鸞聖人の生きた鎌倉時代にも、このような非仏教の状態が、俗人にも、ましてや仏教を信奉しているはずの僧侶までもが、仏教からはずれている有り様があったということです。これは何も鎌倉時代のことだけでなく、現代においても、あいも変わらず、それどころか尚一層派手に行なわれている面もあることを考えて見ますと、法然・親鸞の合理精神を、すなわち、このような行為が真実の仏教からはずれているという厳しい合理精神を身につけて行きたいものだと思います。
| 親鸞八十八歳御筆 自然といふは、もとよりしからしむといふことばなり。 ちかひのやうは、 無上仏とまふすは、かたちもなくまします。かたちのましまさぬゆへに この道理をこころえつるのちには、この これは |
◎『現代意訳(訳者 HP作成者)』
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自然ということばは、“自”はおのずからということです。これは人間のはからいによるものではないのです。仏のことばとしていえば“おのずとしからしめる”ということであり、人間の側からいえば、“おのずとしからしめられる”ということばです。
法爾はこのように迷いそのものの私たちを救いとろうとする御誓いであるから、これは仏法を求めようとする衆生の“はからい”ではないのです。だから、このことは他力ということであり、仏のはたらきでありますから、わたしたち衆生が、あれこれと、往生の徳を積もうと、はからって考えたりすることではなく、むしろ、はからって考えたり議論したりすることを超えた信心の問題であるというのが本当の意味合いです。
自然というのは元々から“しからしめる”ということばです。弥陀仏の御誓いは元より仏教を求める衆生のはからいではなく、“南無阿弥陀仏”とお頼みして、浄土に迎え入れるようはからってくださることだから、求める衆生が善いとか悪いとかおもわないのを自然というのだと師の法然上人から聴いています。
誓いの根本は私たちのような迷いそのものの衆生を無上の仏にしようと誓っておられることです。そして、そのような誓いのはたらきですから無上仏には目に見えるかたちはありません。かたちのない御はたらきですから、これを、おのずからしからしめられる“自然”というのです。かたちあるということは、世事のことですから、無上涅槃とは申しません。世事万端のようなかたちはなく、はたらきそのものであり、その結果は無上のさとりなのであって、これがすなわち弥陀仏なのだとききならってきました。弥陀仏というのは、このおのずからしからしめるという自然のありさまを知らせるということに相当する御名であるといえましょう。
この道理を心得た後は、、この自然のことは仏のはたらきであるからして、われわれ衆生の方から、いろいろと思いはからうことではありません。この自然のはたらきを、世事のようにいろいろ思いはからと、弥陀仏の御はからいに預かっていることが、結局自分の側で計らっていることになってしまいます。 仏のはたらきということは、科学的証明を云々するような、我々衆生の世事万端の思い、はからいを超えた事柄なのです。
(注) 『現代意訳』で( )内の文言、(
【HP作成者感想】
今回は正像末和讃の最終章を荘厳するといってもいい「自然法爾章」に入りました。タイトルにあたる部分に「親鸞八十八歳御筆」とあります。この文章はもともと親鸞の直弟子
顕智(けんち) が正嘉二年に京都三条富小路の尋有(じんう)(親鸞の弟)の坊舎にいた親鸞に謁見し、その時に仏教上のことばについて顕智が質問し、それに対する親鸞の答えを聞き書きしたものだそうです。
そのとき親鸞は八十六歳であったと記録にあります。
タイトルに「八十八歳御筆」とありますが、親鸞聖人ご自身が“御筆”という二文字を入れられるわけでもなく、これは名畑応順師によれば、「親鸞八十六歳で述べたものであろうが、翌々年の文応元年(1260年)八十八歳で和讃の完成にあたって、この文をを再記したものであろう。また、タイトルに「親鸞八十八歳御筆」とある、“御筆”の二字は後人の加えるところか、古写本には二字のないものもあるという。」とされています。親鸞聖人が三帖和讃を完成された八十八歳の時点で、その最終部にあらためて、和讃全体についての聖人ご自身の感慨を記されるにあたり、あらためてここに挿入されたのではないでしょうか。そのとき、その末尾に“親鸞八十八歳”と添えられたとすれば、それを読む現代人の我々には一層、感慨深いものがあります。
さて、親鸞聖人のこの文章を、普通『自然法爾章』を呼んでいます。しかし、この文章を読んでも、“自然といふは”とか“法爾といふは”、とかいった言葉はありますが、“自然法爾”という言葉はどこにも使われていません。それでは何故、この文章を“自然法爾章”というのかといいますと、末燈鈔なども含まれる親鸞聖人の消息集の方には「自然法爾の事」と表題されているので、このように“自然法爾章”と呼ばれているのだと考えられます。
また、この文章をはじめ、親鸞聖人の多くの消息には、いきなり本論に入っていく表現が多くあります。たとえば、この文章では、いきなり何の前ぶれもなく“獲の字は”とか“自然といふは”などです。いきなりですので、初めて読む者は少し虚を衝かれる感じで、その点で、難解であるというような気に私などはなりました。これは、よくよく考えてみますと、直弟子の顕智の聞書きということですから、おそらく顕智が“獲得”とか“名号”とか“自然”とか“法爾”といった言葉について質問し、それに親鸞聖人がお答えになったという経緯があるからではないでしょうか。このことをよく心得ておくと、私などは、文章の唐突さに慣れて、理解しやすいように思われました。
さて、本文に入ります。最初の4行は、獲得、名号について、大変シンプルに答えておられます。
最初の二行余、“獲”と“得”の部分は私たち衆生の“信(=獲)”と“成仏(=得)”のことであり、後半の二行の“名”と“号”は修行中の法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の名のことを「名(みょう)」いい、成仏された阿弥陀仏の御名を「号(ごう)」と言っています。親鸞聖人はこのことだけをこの4行で述べられたわけです。われわれはこの4行をあらためて、どのように受け取ればいいのでしょうか。
「弥陀成仏のこのかたは、いまに十劫を経たまえり、法身の光輪きわもなく、世の盲冥をてらすなり」と親鸞聖人の和讃にありますように、親鸞聖人の所依の経典「大無量寿経」によれば、既に弥陀は十劫(じゅっこう)の昔に本願を成就しておられ、世の衆生の盲冥を照らしておられることになります。宇宙開闢以来の因と縁によって、私たちがここにこのように存在するのは、すべからく私たちの生の根源がそこにあるということであり、そして、そのはたらきを象徴したことばが絶対無限、あるいは阿弥陀如来であると私は考えますので、私がここに、このように存在する因と縁となった生の根源とは“真実の親”であると申し上げてよいと思います。すなわち、十劫の昔にすでに生まれ変わり死に変わりする衆生の“真実の親”になっておられるということになります。ですから、命あるうちに、この「真実の親」の本願(本当の願い)に気づき、それを信ずることができれば、それは正定聚(しょうじょうじゅ)の位であり、“獲”の状態にあるということではないでしょうか。そして、命終れば、その「真実の親」の懐に還って仏となる、これが“得”ということではないでしょうか。このような正定聚の状態を表現する親鸞の和讃があり、そして石見の妙好人才市の歌にも見ることができるように思います。例えば、親鸞聖人の浄土和讃の一首をあげれば『信心よろこぶ
そのひとを 如来とひとしと ときたまふ 大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり』であります。“如来と等しい”すなわち この穢身そのものである身、これは決して如来と“同じ”ではないが“等しい”と親鸞聖人は華厳経や涅槃経から、この言葉を引き出して私たちに示されています。また、才市妙好人は『さいちや
どこにねておるか 娑婆の浄土にねておるよ おこされてまいる みだのじょうどに』。すなわち、本願の信あれば、才市妙好人のように、この世において生きながらにして、浄土に感応することになるのであり、そうであってはじめて命終の後に“真実の親の懐”すなわち“浄土に”還ることが出来るのではないでしょうか。まさに「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり」という「帖外和讃」の中の一首が心に迫ってきます。このことが衆生における“獲”の状態ではないでしょうか。そしていのち終われば、真実の親である、弥陀の浄土に還っていくことができると受取ることができます。
次は「自然といふは」以後の文章です。親鸞聖人が遺されている、この上なく大切な文章をこのように書くのはどうかとおもいますが、自然法爾章の文章は、はじめに書きましたように、いきなり何の前ぶれもなく“獲の字は”とか“自然といふは”といった唐突な文章で始まります。この唐突さが、それを読む私などには文章の趣旨がかえって分かり難いということになります。その理由は私として上に記述しましたように、聞き書きであり、また、門弟の質問に答えた文章であるからではないかということを書き、また現代語訳に( )内のように(
① 最初の段落は‘獲の字は’というところから4行、
② 次は‘自然といふは’から、その少し後の‘如来のちかいにてあるがゆへに’まで
③ 次は‘法爾といふは’から、更に少しあとの‘他力には義なきを義とすとしるべきなり’まで
④ 次は、そのあとの‘自然といふはもとより’から‘きゝて候’まで
⑤ 更に、その後の‘ちかひのやうは’から‘自然のやうをしらせんれうなり’まで
⑥ そして最後の段落は、‘この道理をこころえつるのちには’から最後の行まで。
まず①の段落については、既に上記で検討したところです。“獲”、“得”、“名”、“号”それぞれの意味をシンプルに表現されていますので、ことば自体としても、わかりやすく、これをどのように受取るかは上記で述べさせていただいた通りです。おそらく、親鸞聖人と門弟
顕智の間のやり取りで、まず、獲得名号ということばを、どのように受取るかを確認されたのではないでしょうか。
次いで②の段落以降です。先ず②の段落で特徴的な文章は“行者のはからひにあらず、しからしむといふことばなり”とあり、そのあとにも“行者のはからひにあらず”ということばが、もう一度使われています。すなわち、この段落は親鸞思想の真髄は「本願他力」であるということを説いているのではないでしょうか。
・次に③の文章では、“しからしむるを法爾といふ”、“行者のはからひなきをもちて このゆへに他力には・・”と、ここでも「他力」ということを説いています。
・更に次の④では、また、“行者のはからいにあらず”、そして“南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんとはからはせたまひたるによりて・・”とあり、ここでも‘行者のはからひ’は一切なく、厳然とあるのは“弥陀仏の御ちかひ”であり、“南無阿弥陀仏”であるとすると、この段落も衆生のはからひはいっさいなき「本願他力」ということを述べていると私には受け取れます。そうしますと、上掲自然法爾章原文の総行数24行の内、半分以上の15行を使って、親鸞聖人は三帖和讃全体の跋文(最後の文)として自身の思想の真髄を「本願他力」ということを中心に述べておられることになります。
そして、次の⑤の段落では、まず“ちかひのやうは無上仏にならしめんとちかひたまへるなり”ということです。したがって親鸞聖人が信ずる仏法、すなわち阿弥陀仏のはたらきは、私ども衆生を究極的に“この上なき仏”にならしめんとちかわれているのだということです。更に、“無上仏とまふすはかたちもなくまします、かたちもましまさぬゆへに自然とはまふすなり”とあります。無上仏は衆生の我々を無上の仏にしようとする“はたらき”であります。はたらきには形などあるわけがありません。したがって、親鸞思想がいう“弥陀仏”とは、この形のない自然のはたらきを知らそうとする料(れう)、すなわち、そのような“はたらき”を私たちに知らそうとするに値する仏であると述べておられます。すなわち、“はたらき”そのものであると述べておられます。
最後に、⑥では、この道理をこころえたならば「自然(じねん)」のありさまは、いろいろと“さた”すべきではない、すなわち義なきを義とすということであり、仏智の不思議ということだと述べておられます。これは、どのように受け取ればいいのでしょうか。私(五島)は“義なきを義とす”とは“いろいろと“さた”すべきにあらざる”ことなんでしょうが、これは“さた”することを禁止しているというよりも、一面では“さた”する必要のない事柄であるといわれているとも受け取れます。すなわち、“仏智の不思議にてあるなり”、不思議とは思議できないということでもありましょうが、思議することのない、もっといえば、いろいろとこちらから思議する必要のない、すなわち、まことの“信心の人”にとっては“すべて弥陀におまかせの状態にある”ということともいえるのではないでしょうか。親鸞聖人にとっては弥陀の本願は自然のことと、ある意味で信じないではいられない事柄でもあったのではないでしょうか。
ここで「自然法爾章」全体のいわんとするところをまとめてみますと
(1)獲得・名号は別々のようでありますが、本願他力の世界では本来ひとつの事柄、すなわち、衆生病むゆえ仏病む。あるいは衆生往生する故、仏往生す。真実の親であるならば、こうあるのではないでしょうか。(①の段落)
(2)親鸞思想は本願他力の思想であること。(②、③、④の段落)
(3)仏の誓いは我々衆生を無上(この上なき)の仏にしようという願いなのだということ。(⑤の段落)
(4)仏は(3)でいわれるように“我々衆生を仏にしよう”という願いを込めた“はたらき”なのだから、“はたらき”には“かたち”はないのだ。弥陀仏というも、このようなかたちのない“はたらき”をあらわそうとする
(5)したがって、“おのずからしからしむ”という仏のはたらきは、まことの信心の人にとっては、さいしょからすべてを委ねているじょうたい、すなわちおあれこれとはからったり議論する余地のないことであり、信じざるを得ない事柄なのだ。(⑥の段落)
というように私(五島)は受け取らせていただきました。
「自然法爾章」の受け取り方は、勿論このほかに沢山あると思います。皆さんの、素晴らしい思索をお待ちするところです。
| (1) よしあしの まことのこゝろなりけるを おほそらごとのかたちなり (2) このみなり |
◎『現代意訳(名畑応順著「親鸞和讃集 脚注より」)』
(1)
善悪の区別も知らないばかりでなく
善悪の文字さえも知らない人は
却って嘘のない まことの心であったのに
善悪の字を知った顔をしてものをかくのは
大虚言の姿である。
(2)
物事の是非も知らず
邪正も解らない
愚かなわが身である。
小さい慈悲さえもないけれども
名聞利養のために
人の師となることを
好んでいる。
【HP作成者感想】
いよいよ、正像末和讃、そして三帖和讃の最後の二首になりました。
名畑応順師によれば、「この二首の和讃と前回の自然法爾の文章は正像末和讃のみならず、「浄土和讃」、「高僧和讃」も加えた、三帖和讃全体の総結とみられる。」とのことです。さらに、上記2首の内の(1)では、現代語訳の後に、「賢こぶって和讃を書くのだと自らを愧じる意か」とし、(2)ついても同様に「智慧も慈悲もない者が和讃などを造って指導者になりたがると自省する意か。」として、「古人は三帖和讃の製作を終り、謙下して筆を擱かれたものと見ている。」と名畑師は書いておられます。まことに、そのとおりで、親鸞聖人が自らを振返えられた深いこころの内なる吐露が、ここに示されているものと思われます。しかし私は、この2首には謙下のみでは語り切れないそれ以上の意味合いが示されているのではないかと思うところです。それは私たち自身が、本当のところは“よしあしの文字もしらぬ存在”なのではないかと振返るところです。ところが、現実の私たちは、よし・あし、利・不利を瞬時もやすまず思い考え続けているのではないでしょうか。それも、自分の我執にとってよいか・わるいか、利か不利かということであって、真実の“よしあし”については、ほんとうのところ、何が善だやら、何が悪だやら、すこしも知り解る能力のない私であるのではないでしょうか。親鸞聖人も自らを振返られて、“是非しらず邪正もわかぬ、この身なり”とのべておられます。この和讃はそのことを指摘し、私たちに、すべからく、何一つわかっていない存在、はからっているようであっても、実は、何一つ、はからい得ない存在が私であるからして、畢竟、すべてを本願他力の中のできごととして、只、念仏の生活を送れよと示しておられるように思われます。
以上、三帖和讃に聞くことの最後にあたっても、まことに簡単な、つたない、感想となってしまいましたが、以上をもって、終ることにさせていただきます。
第一書簡 1 |
今月から、親鸞聖人の御消息を、まず「末燈鈔」を拝読することから始めたいと思います。親鸞聖人の御消息集には「末燈鈔」のほかに、「
この「末燈鈔」は親鸞の曾孫の
今回から、「末燈鈔」の各書簡の中で、強く惹きつけられたお手紙の文章を、ピックアップさせていただきながら、味わっていきたいものと考えます。
今回は第一書簡の劈頭に位置するお手紙の部分です。いきなり、前置きなしに、“来迎は・・”といったことばから入りますので、いささか面食らいます。
いきなり本論だからです。私が推定しますに、これらお手紙は、いうまでもなく、親鸞聖人の関東の同行からの切実な信仰上の質問にお答えになっているわけですから、
ゆうちょうな前置きなどは、むしろ不必要であり、ずばり、本題から入られているからでしょう。“来迎”というのは、人が死ぬ間際に、浄土往生を確実にする、
諸菩薩を伴った阿弥陀仏のお迎えがあって、往生が間違いないものになるという信仰ですが、親鸞聖人は、そのような儀式は、真実信心の行者にとって必要がないと、
きっぱり否定しておられます。そして、このようなことは、自分で積んだもろもろの行を仏への糧として、いわばお供えとして、浄土往生を確定しようとする自力の行者か、
または十悪・五逆の、どうしようもない悪人が臨終のとき、真実信心の善智識にすすめられて称名念仏していのち終るときに来迎ということが問題になる。しかし、真実信心の念仏者は、
その信心のゆえに、すでに生きてある平生のときから、いのち終れば、間違いなく、仏と一味になる、すなわち正定聚の位にあるのだから、あらためて、臨終での来迎を気にして待つことは
ないのだと、きっぱりと言われています。そして、この文は最後に、“信心のさだまるとき往生またさだまるなり。来迎の儀式をまたず”と無限の力づよさと、自信に満ちて結ばれています。
“信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。” この力づよい親鸞聖人のことばを、私たちは、どのように受け取ればいいのでしょうか。私はこのことばにこそ、
親鸞浄土教の真髄というべき思想が一つ、込められていると思っています。ところで、この親鸞聖人のことばを実際に生きた現代人がいます。それが島根県石見の妙好人
才市翁です(1850~1932年)。彼は下駄職人です。彼がひたすら下駄を作りながら、歌い上げ記録した“妙好人才市の歌”、そこには次のような歌があります。『なむあみだぶつ なむあみだぶつ
しゃばのせかいも ごくらくの うちとぞきけよ なむあみだぶつ なむあみだぶつ』、或いは又『さいちは どこにをる じょうどもろうて しゃばにおる これがよろこび
なむあみだぶつ』、そして更に又『さいちや どこにねてをるか しゃばのじょうどに ねておるよ。 おこされてまいる みだのじょうどに』。そうなんです。すなわち、 才市翁はすでに娑婆にあって、浄土に片足を入れているのです。才市は今、生きて娑婆にいるわけですが、しかし、娑婆にいる才市は、すでにして大いなる弥陀の掌中にあることを、
はっきりと実感しているのです。娑婆にいながら、すでにして大いなる弥陀の掌中にあることの実感。これこそ真実信心そのもの、正定聚の信心そのものではないでしょうか。こうなれば、
まことに簡単です。生きてある今、すでにして弥陀の掌中にあるのですから、生死を超えて、いのち終った後も、いうまでもなく弥陀の掌中であって、それどころか、そのときこそ、弥陀と一体となった永遠の生命の仏
そのものになる。命終ののちの成仏は、このように生きてある内から、弥陀の掌中にあることを実感している真実信心の人にとって、ごくあたりまえのことになるのではないでしょうか。
すなわち、親鸞聖人のいわれる『このゆえに臨終待つことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり』ということではないでしょうか。
それから、もうひとつ、蛇足になるかもしれませんが、上の「第一書簡 1」の文章にある、来迎が“諸行往生”の人においては必要なのは、わかります。なぜなら弥陀の本願の第十九願に
おいて、このような諸行往生の人が「いのち終るときに臨んで、たくさんの菩薩たちと共に
私(阿弥陀仏)が現われて必ず迎えとること」を約束されています。これはわかるのですが、
もうひとつ「また